柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の恵み」1コリント15章7-11節

1コリント15章は、キリスト復活の最大の章とも言われるべき大切な箇所です。もし、キリストの復活がなければ2000年前にキリスト教は終わっていたでしょう。しかし、今日まで、またこれからも存続するのは、キリストの復活のゆえです。また私たちの信仰の土台もキリストの復活にあるのです。

1,神の恵み―罪の赦し

10節に「神の恵みによって、私は今の私になりました。」とパウロは言いましたが、恵みとは何でしょうか。それは、受ける値打ちのないものが受けることができる、それが恵みです。そして、神の恵みとは第一に、罪の赦しです。
復活は信じられない。科学的に矛盾している。死んだものが生き返るはずはない。と言われます。科学的に復活を解明しようとする人もいますが、それはむだであると思います。
なぜなら、キリストの復活は全く次元の違ったことです。なぜキリストは、十字架にかかって死に、よみがえられたのか。それは、私たちの罪を赦すためであったと言うことです。科学的解明は二の次です。まず私たちは、自分の心が赦されなければなりません。犯した罪や、失敗、咎―何が私たちを赦し、罪の滅び、死から救ってくれるのでしょうか。それは、キリストの十字架です。自分の身代わりになってキリストは死んで下さった。それ以外に、罪の赦し、心の救いはありません。
7節に、ヤコブと名前があります。これは主イエスの兄弟であったヤコブのことです。彼は初め信じられませんでした。まさか自分の兄は神である、とは信じられなかったのです。ところが十字架により、彼は信じ救われました。そして、エルサレム教会の指導者の一人となったのです。それは、兄弟だからではありません。信仰によって、へりくだり、イエスを神の子救い主と信じ、クリスチャンになったのです。そして、パウロも同じでした。彼は弟子ではありませんでした。それ故、使徒と認められないこともありました。しかし、復活のキリストにお会いし、罪赦されて神の子となり、そればかりか、キリストを救い主として伝える大きな働きに用いられたのです。これはまさに神の恵みであったのです。


2,神の恵み―永遠のいのちが与えられる。

彼は使徒の中でも、最も小さいものでした。彼は弟子どころか、9節を見るなら、教会の迫害者だったのです。それが、赦されて、キリストの十字架と復活を宣べ伝えるものとなったのです。そして、誰よりも大きな働きをしました。
多く赦された者は、多く愛することができるのです。彼はその実証者でした。彼ほど、聖書の書巻を書いた弟子はいませんでしたし、彼ほど多くの人に福音を語った弟子はありません。使徒の中でも、月足らずで、未熟児で生まれた者が、最も大きく用いられたのです。彼は福音によって、小さく産まれ、大きく成長した一人です。
それは私たちにも可能性があります。彼は、神の恵みによって多く働き、宣べ伝えました。それは、彼のうちにいのちがあったからです。肉体のいのちではありません。永遠のいのち、聖霊のいのちが彼のうちにあったのです。ですから、彼は問題に取り囲まれても窮することなく、迫害されてもくじけることなく、主の愛に心燃やされ、反対に人を愛し、基督の恵みを伝えるものとなったのです。
ですから、神の恵みとは、キリストにつながり、キリストのいのちが自分のうちに与えられている。キリストが私のうちに生きておられると言うことです。彼はそのことをピリピでもローマでも実証したのです。「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(?コリント12:9)キリストの力が彼のうちに完全にあらわされたのです。私たちのうちにもパウロと同じように、キリストの力が、キリストのいのちがあらわされるのです。


                     (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)