柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「復活の福音」 コリント人への手紙 第一 15章3∼11節

 イースターおめでとうございます。

 キリストが死からよみがえられた、復活を記念するお祭りです。
教会学校で、イースターエッグを配るところもあります。新しいいのちを象徴するものです。
イエス・キリストがよみがえられたのは、私たちの救いのためでした。
それをパウロはここで語っています。

 

1,最も大切なこと


 キリストが聖書に書いてあるとおりに、 ①私たちの罪のために死なれたこと。

 キリストの死には特別な意味があります。十字架で死なれたことは多くの方が知っていることです。しかしなぜ十字架で死ななければならないのか。その意味を知っている人は多くありません。それは身代わりの死です。十字架は当時の死刑の道具でした。生きたままの人間を磔にし、放っておくのです。痛み苦しみの中に死んでいく。これほど残酷な刑罰は他にありませんでした。聖書に「罪の支払う報酬は死である」とありますが、私たちは裁かれます。罪の報いを受けなければなりません。それをイエス・キリストは身代わりになって、十字架の裁きを受けられたのです。

 言うなれば私たちの借金を、代わりに払って下さったのです。払ってもらったら、もうそれ以上要求されません。自由の身となれるのです。

 私たちは法律的な罪は犯してはいないかもしれません。しかしうそをついたり、ごまかしたり、悪口をいったり、心の中に悪い思い、罪があるのではないでしょうか。罪あるところに、平安はありませんし、希望はありません。人のものを盗んだことによって、心に陰があり、何をしても面白くない。こんな思いから自由になりたい、という人がいました。そして、キリストが心にある罪を赦して下さる。十字架は自分の罪が赦されるためだった、と信じキリストを救い主として信じたときに、その罪は心から消え、喜びが与えられたのです。

 キリストは聖書に書いてあるとおり、 ② 死からよみがえられました。

 死に勝利されました。ですから、信じる私たちもキリストを信じ受け入れるなら、保証されます。永遠のいのちが保証されるのです。「わたしは、よみがえりであり、いのちである。わたしを信じる者は死んでも生きる。」とキリストは約束されています。その信仰に私たちは生きることができるのです。


2,神の恵みによって生きる

 パウロは「神の恵みによって、私は今の私になりました」と告白しました。彼は以前はどうであったかというと、「神の教会を迫害した」のです。群を荒らす凶暴な狼でした。情け容赦のない、愛のかけらもないひどい人間でした。しかし彼は変えられたのです。どのように変えられたのか。自分の努力に依ってか、人の力によってなのか。どちらでもありません。キリストにお会いすることによって変えられたのです。彼だけではありません。「キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れた」とあります。多くの人にキリストは現れ、変えられ救われたのです。今日も同じです。日本でもアメリカでも、中国でもキリストを信じて救われる人が起こされているのです。

 しかもパウロは、神様の恵みは無駄にならないと言っています。なぜなら、彼は自分の生涯をすべて、キリストにささげて救いを伝える者になったのです。しかも彼は、「働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのです」と証言しています。彼は神に愛され、そして恵みに満たされてキリストの救いを伝えました。

 私たちもまた、キリストの救いに与ったことを感謝し、喜び、この恵み、キリストの救いを宣べ伝える者とさせていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)