柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊の御業」使徒4章32ー35節

花の日は150年ほど前、アメリカで始まりました。子どもたちの宗教教育を強調する日として特別の礼拝と、プログラムを行ったそうです。そして、メソジスト教会がそれを受け継ぎ、子どもたちに奉仕と感謝の喜びを得るようにと花の日の訪問が行われたそうです。

そして、今日はペンテコステの日です。イエス・キリストが死の中からよみがえられたイースターから数えて50日目の日曜日となります。その日、ユダヤ人たちを恐れていたイエス様の弟子たちは立ち上がり、大胆にイエス様の十字架と復活を語り、その日一日だけで3000人の人たちがイエス様を信じ洗礼を受けたのです。

その日以来、イエス・キリストの復活の信仰が伝えられ今日もなおその働きは続いているのです。神の御業は実は目で見えないものです。確かに人間を通して働かれ、その中に聖霊が働いておられるのです。


1,心が一つとなる

聖霊の働きの表れの一つは、心が一つとなることです。人間は一致するのが難しいものです。弟子たちも一つとなれませんでした。ところがペンテコステの日以来、彼らは一つとなったのです。その表れが祈りです。彼らは、心を一つにして共に祈りました。なぜ集まったかというと、ペテロとヨハネは捕らえられ、ユダヤの最高会議でイエスの名によって語ったり教えてはならないと脅されたからです(4:18)。しかし、彼らは、「神に聞き従うのか人に聞き従うのか判断してください」と語り、話さないわけにはいかないとはっきり言ったのです。
そして仲間のところに帰ったとき、彼らは神に祈りさらに大胆に語ったのです(31)。
それだけでなく、持ち物さえも一人一人がこれは自分のものだと主張することなく、分かち合い共にしていたのです。「自分のもの」と言うエゴがなかったのです。私たちもそうでありたいものです。


2,ひとりも乏しい者がいない

なぜ彼らは持ち物を共有することができたのか。彼らの祈りに答えがあります。それは、すべてのものを造られた創造の主を信じたからです。創世記1章に神様は、祝福され人に与えておられます。それが元々の姿でした(創世記1:29)。そして、ダビデと同じ信仰を持っていたのです。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」(詩篇23:1)。
彼らは捧げることを自発的に行いました(4:34)。そして、必要に従って必要な人たちに分け与えられたのです(4:35)。それは義務ではありませんでした。まさに聖霊によって、一つの体のように、一部に痛みを感じると全体が痛むというように一つとなって、問題に対応したのです。そして、それはみんなが心を合わせて祈りに聖霊は満ちあふれ、彼らはますます大胆にイエスの御名によって行動を行われたのです(4:31)。


3,主イエスの復活を証しする

そして一致する心と、持ち物を共有する一つの思いは伝道へとつながったのです。なぜなら使徒たちは、さらに大胆に津から強く主イエスの復活を非常に力強く証ししたのです。彼らは最高議会から厳しく戒められ、おどかされて「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と禁じられたにもかかわらず、語っていったのです。なぜなら神の大きな恵があったからです。美しの門で生まれつき足の不自由な人が完全に癒やされました。そして、人々は心一つにして全員で祈り、すべてのものを共有して自己主張せず、乏しい者は一人もいなかったのです。そして何よりも、イエス様の復活が非常に力強く証しされた、それが聖霊の御業なのです。
今も聖霊は働いておられます。そのことを私たちも信じ、聖霊の御業を拝する者とさせていただきましょう。

      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)