柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「心合わせ祈る」マタイ18章19~20節

この御言は、教会の早天祈祷会で短い奨励と祈祷課題の紹介の後で、出席者全員で唱和し分かれて祈るときに使っている御言です。このところには大切な約束があります。
1,心を合わせて祈る
まず 19 節で祈りのことが出てきますが、祈りほど全能の神の御手を動かす大きな力は他にありません。あのイスラエルをエジプトから導き出したモーセは祈りの人でした。神と交わり、祈りをすることによって彼は神の御心を行うことができたのです。
また、イエス様もその生涯は祈りの生涯であったことは福音書を読めばよく分かります。朝に夕に、どんなに忙しくても祈りを欠かせられませんでした。特に十字架にかかられる前、ゲツセマネの園で、血の汗を流して父なる神に祈られたのはよく知られていることです。
私たちも、困難な状況になったときに「神様!」と祈るのではないでしょうか。とにかく祈ることが、問題の解決の近道となります。
この御言の文脈は 15 節で、兄弟が罪を犯した場合のことが出ています。解決がなかなか難しい問題です。そのことに関しても祈りが必要であり、特に「 心を一つにして祈るなら」とイエス様は言われました。神様は私たちの祈りを聞いて下さいます。私たちの訴えを受け入れて下さいます。しかし、私たちの思いや願いがそのままなされるとは限りません。祈りが聞かれる、祈りが答えられる、それはどのようにして分かるのかといえば、祈りの一致ということがあります。心を一つにしてとは、調和、ハーモニーということです。コーラスでもハーモニーによって、素晴らしい演奏となります。柏原教会の聖歌隊も私は素晴らしいと思いました。
それは一人の人が抜きんでているというのではなく、調和がとれてい てハーモニーの音色が素晴らしいということです。
ですから、祈りにおいても、自分勝手な祈りではなく、最初はそうかもしれません。しかし、一緒に祈ることによって、そこには調和が生まれ、そして神の御心が明らかにされるのです。ですから、たとえどんなに難しい問題であっても、どんなことでも、地上で心を一つにして祈るなら、天の父は必ずかなえて下さいます。それが、二人で祈るときに表されてくる答え、実際的な解決となるのです。まず祈りが確信となって心に与えられます。
2,神の栄光の臨在
そして、二人三人が共に集まる中に、神様 はともにおられます。おそらくはこれが交わりの最小単位かと思います。ですから、私たち二人三人が、単なる井戸端会議的な集まりではなく、キリストの名において集まるなら、そのところにキリストも共におられます。ユダヤの諺に、二人三人が神の律法を共に学べば神の栄光が現れるとあるそうです。ですから、クリスチャンがたとえ二人三人でも、キリストの御名によって集まるところに、キリストも共におられ、神の臨在の集まりとなるのです。
ある教会は2~3人の家庭集会から始まり、神様の祝福が与えられ集まる人数も加えられて教会となった所もあり ます。要は人数の多い少ないではなく、イエス様がそこに共におられるかが問題です。ですから、イエス様は教会だけではなく 家庭の中にもおられるのです。
私たちは、主の栄光、主の臨在の中にあることを覚えさせていただいて、たとえ2,3人でも心合わせて祈り、神様の栄光を拝して、神の御業がなされるものとさせていただきたいと思います。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)