柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの力」ルカ9章1-6節

エス様が来られたのは、私たちを永遠の滅びから救い、真の命を与えるためです。その働きは2000年経った今も継続されています。


1,宣教のための選び

エス様は単にご自身だけで福音宣教の働きをされたのではありません。弟子たちを選ばれました。彼らはガリラヤの漁師や一般の人たちでした。特別能力や賜物があったのではありません。その人たちをイエス様は用いられたのです。
それは人の力が現されるためではなく、ご自分の力、神の働きを証明するために弟子たちを選ばれそして彼らを遣わされたのです。彼らは特別な訓練を受けたでしょうか。何も受けませんでした。ただ、イエス様のそばにいて、イエス様が何をなされるのか見ていただけです。いわば、彼らはキリストの証人でした。
しかし、一つだけちがうことがあります。それは、キリストご自身が弟子たちに「力と権威」を授けられたと言うことです。彼らは訓練によって身につけたものではなく、ただキリストによって与えられた。それがすべての事です。その力と権威は、悪霊を追い出し、病をいやすものでした。それはまさに、イエス様が実際に行われたことです。その権威・力をイエス様は弟子たちに与えられたのです。


2,主にのみ頼る

エス様は彼らを遣わせるにあたり、何も持って行かないように言われました。杖も、袋も、パンも、金も、それらは普通旅をするのに必要なものでした。しかし、イエス様はその必要なものをも持っていかないように言われたのです。
なぜそんな無謀なことを言われたのでしょうか。それは、神様を頼ることを言われたのです。私たちがほんとうに何を頼るのか、それが信仰の見せ所です。また、それによって信仰が明確にわかります。ものが有り余っているような状態で、神に頼るという信仰が生まれるでしょうか。おそらくは生まれてきません。神に頼らなくてもいい、頼る必要はない、そんな事で信仰は働くでしょうか。おそらく働かないと思います。
しかし、食べるものも水もない、どうするでしょうか。求めます。祈ります。必死に求めます。そこに真実な信仰が生まれます。神に求めて、神が与えてくださる。そのことが、現実のものとなってくるのです。その中に神の御力は現されます。神の力が働くところでは、悪霊は逃げていき、また病も癒やされるのです。神の力は今も働きます。必要なのは、求める信仰であり、祈りです。
神様は必ず与えてくださいます。無から有を造られた神様は私たちを知っておられます。そして、私たちの必要をも必ず満たして下さるお方です。私たちが求めるべきものは、神の国と神の義です。そうするなら、すべてのものは添えて与えられるのです。
また、福音が受け入れられなければ、足のちりを払い落としなさいとイエス様は言われました。厳格なユダヤ教徒は、異邦人のところに行ったらそのようにするそうです。私たちはユダヤ教徒ではありません。ある意味それは、すべて命ぜられた、主にお委ねすることではないでしょうか。自分ですべての責任は負わない、いや、負えないのです。すべては命令された方にお任せする以外はありません。そうするなら、私たちは気が楽であり、次に進むことができるのです。


3,宣教の拡大

弟子たちはどうしたでしょうか。その結果、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直したのです。もちろん、直したのは彼らではなく、主なる神様です。彼らは、つかわされ用いられたに過ぎません。彼らはなぜ用いられたのか、それは、つかわされた方を信じて、必ずそうなると確信を持って行ったことでしょう。願わくは、私たちも同じ信仰を与えて頂き、必ず主はいやしそして、福音を伝えて下さる。そう信じて、キリストを伝えるものでありたいと願います。



                   (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)