柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「生ける神に仕える」ヘブル9章11-14節

この手紙は、紀元60年代中頃以降に書かれた手紙と言われています。およそネロの大迫害の頃です。その中にあるクリスチャンたちに信仰を励ますために書かれました。


1,永遠の贖い

ここに大祭司、幕屋、やぎと子牛の血という言葉が出て来ます。それらのものは、旧約聖書に出てくる、宗教的儀式を表すものです。旧約聖書の時代、彼らは真の唯一の神を信じていました。八百万の神ではありません。ただ一人全能の主なる神、創造主を信じていました。ですから、神様は人間に何かをしてほしいとは求められませんでした。唯一求められることは、忠実に従うことです。真の神のみに仕えることです。しかし、彼らは忠実に仕えることができなかったのです。偶像を作りそれを拝み、真の神に従えない、不従順であり、神に対して罪を犯すものであったのです。安息日を覚えてこれを聖とせよと言われても、それを守らない、礼拝しない、たちどころに滅ぼされてしまいます。
そのことがないようにと、神様は一つの方法を示されました。それは、やぎと子牛の血をもって、その罪を赦すというやり方でした。年に一度、大祭司が幕屋に入って子羊を殺し、その血をもって罪がゆるされた、贖われた、と宣言したのです。
しかし、人々は変わりませんでした。同じように、罪を犯し平気であったのです。
そのために、神様はどうされたのでしょうか。滅ぼされたでしょうか。その逆です。なんと、ひとり子を、子羊の代わりに献げられたのです。十字架がいわば幕屋であり、イエス・キリストが子羊となって、私たちの罪の身代わりとなったのです。それが、神様が私たちに与えて下さった、永遠の贖いであるのです。


2,良心のきよめ

その結果どうなったのでしょうか。私たちの心に罪のゆるしが与えられることです。私たちの心―良心がきよめられるのです。心の中にある罪、すなわち悲しみや、怒り、憎しみや恨みと言ったものがすべて取りのぞかれる。空しい生き方から、喜びのある生き方に変えられるのです。ですから、死んだ行いから離れさせられる、律法的な生き方、すなわちあれをしなければならない、これをしなければならないというノルマから解放され、いつも同じことの繰り返しというような、つまらない意味の見いだせない生き方から解放されることです。
なぜなら、キリストが身代わりとなって下さり、私を生かして下さった。そこに、神様の絶大なる愛がわかるのです。自分の生きる意味がわかってくるのです。


3,生ける神に仕える

そして、次のことは、生ける神に仕える者となることです。キリストは、十字架で死なれましたが、死からよみがえられました。今も生きておられます。天に帰られ、父なる神様の右に立たれ、私たちのために祈って下さっておられるのです。そして、私たちはこの方に仕えています。仕えることができるのです。クリスチャンとなり、キリストのしもべ、弟子としての生き方が与えられます。
御霊によっておささげになった血によって、私たちは新しく生きることができます。
私たちは、御聖霊によってささげられたキリストの血によって生かされています。どんな困難にも、苦しみにも勝利されたキリストが生きておられる。そのことを信じ、神に仕えて生きる者でありたいと願います。


      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)