柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「重荷を負って下さる」マタイ11章28節

今日は日曜日です。一般的に休みの日です。日本には元々日曜日に休むという習慣はなかったようです。明治時代になってから、始まったと言われています。そしてこの日曜日はキリスト教から来ているのです。
元来は、天地創造の業を神様がなされ、最後の日を休みとされました。しかし、キリストがよみがえられた最初の日が日曜日であり、その日を礼拝する日として仕事を休むのが一般化したようです。
いずれにしても、私たちには休みのとき、安息が必要です。しかも、その安息とは、自分が休むと言うよりも、イエス・キリストは「私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と言って下さっています。
私たちを助けて下さる方が、いつも一緒にいればこれほど心強いことはないと思います。
徳川家康は日本全国を統一し江戸幕府を築きました。そして彼の有名な人生訓は「人生は重き荷を背負いて行く道が如し」と言ったそうですが、果たしてほんとうにしあわせだったのでしょうか。
一人で人生の重荷を背負って生きる。それは、辛い人生ではないかと思います。むしろ、誰かが一緒に、自分の重荷を背負ってくれるなら、これほどありがたい、また、かたじけない人生は他にはないと思います。
しかし、一人おられます。それはイエス・キリストです。よく、宗教なんてまっぴらだ、何の役にも立たないという声を聞きます。確かにそうです。宗教には、人を救う力はありません。しかし、私たちを滅びの中から救って下さる人がただ一人だけおられます。イエス・キリストです。彼こそ、私たちを救って下さる方です。なぜなら、私たちが負うべき罪の重荷を負い、身代わりとなって死んで下さったからです。
私たちは、罪を持ったまま死んだら、天国に行けるでしょうか。行けないのです。悪いことをしたら地獄に行ってしまう。幼稚園の子どもでもわかります。しかし、私たちは、一つも自分は罪を犯さなかったと言えるでしょうか。言えないのです。嘘をついたり、ごまかしたり、また、人をだましたり、盗んだり、喧嘩したり、悪を行っているのです。そのまま放っておいたら永遠の滅びに行きます。そうならないためにはどうするのか、罪がゆるされなければなりません。
そのために、イエス・キリストは十字架にかかって死んで下さったのです。身代わりに、死なれた。そのことによって、罪はゆるされるのです。
そして、キリストの安息は私たちに新しい力を与えてくれます。私たちは、心が弱く罪を犯しやすい者です。しかし、キリストは十字架によって罪の赦し、そこから来る平安を与えて下さいます。心の重荷が取りのぞかれるとき、キリストの平安で心が満たされ、生きる力が与えられます。


             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)