柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストに頼る幸い」ガラテヤ6章1-5節

私たちの生活には様々な問題また、重荷があります。その重荷をどのように解決することができるでしょうか。


1,重荷をともに負いあう

教会は、聖書を見ますと「キリストの身体である」(エペソ4:16)と言われています。身体の一部が痛むと、全身でそれを感じます。私たちもそれと同じです。一人の人が苦しむなら、みんな苦しみ、一人の人が悲しむなら全てのものが悲しむのです。
しかし、それは人間的な同情とか憐れみのことではありません。人間的なものではなく、むしろ2節にあるように「キリストの律法」によるものなのです。イエス様は私たちに新しい戒めを与えて下さいました。それは「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」と言うことです。そしてここでは「互いの重荷を負い合う」(2節)とあります。一人では負いきれない重い荷物も二人なら負うことができるのです。教会の様々な問題も、一人で背負うべきではありません。また、自分で負えない問題も人に押しつけるのではなく、パウロは「負い合いなさい」いっしょに背負いなさいと言っているのです。
それはまたお互いの人間関係においても大切なことが語られています。もし、人が過ちを犯した場合どうするのかと言うことが話されています。1節に「御霊の人」とあります。それは神の霊、聖霊に心の満たされている人のことです。別の言葉で言うなら、キリストが心の中に生きている人です。そのような人は、柔和な心で、過ちに陥っている人を正してあげることができるのです。
それだけではありません。御霊の人は、同じような誘惑に会わないように、人の失敗も自分のこことして受け止めることができます。「もし、自分だったらどうだったのだろうか」「自分は失敗しなかっただろうか」と自分に問いかけることができるのです。また、そのような人はむやみに人を責めることはありません。自分の傷みとして、人の過ちを受け入れることができるのです。それはまさに、イエス様が、パリサイ人や律法学者の怒りを身に受けて十字架に死んで下さったことです。しかし、イエス様はよみがえられ、死に打ち勝ち、私たちに勝利を得させて下さいました。イエス様が心に生きて働いて下さる時、私たちの心もまた、罪に打ち勝つ勝利と、復活の命永遠のいのちの喜びが与えられるのです。初代の殉教者たちも皆、その喜びが与えられていたのです。


2,自ら負うべき重荷

分かち合うべき重荷とともにもう一つ、自分で負わなければならない、重荷があります。2節の重荷と5節の重荷は異なります。前者は、一人では負いきれない重荷、後者は自分自身で負わなければならない重荷、一人で背負う重荷です。
人が手伝ってくれて解決することができる問題があります。それは分かち合わなければなりません。しかし、人に頼るのではなく、自分自身で決断し解決しなければならない問題があります。その重荷を、自分自身で負いなさいとパウロは言いました。
しかし、幸いなことに、その重荷を負って下さる方がおられるのです。それは、イエス・キリストです。イエス・キリストが私たちが一人で負わなければならない、悲しみや苦しみをともに担って下さるのです。その重荷は、人にはゆずれません。ところが、その心の重荷、自分が負わなければならない重荷をキリストは担って下さるのです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)キリストがあなたの負うべき重荷をも負って下さるのです。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)