柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「燃えるしば」出エジプト3章1-12節


新年聖会礼拝
2013年1月20日(日)
『燃えるしば』 
聖書:出エジプト3章1〜12節
講師:工藤弘雄師(香登教会牧師・関西聖書神学校元校長)

ただいまお読みいただきました出エジプト3章2節に『よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった』。3節に『モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう」』とあります。
『柴』は弱く、もろく、燃え尽きやすいものです。にもかかわらず赤々と、燃え尽きないで、燃え続けておる。なぜなのか、これは『見物(みもの)』です。
竹田俊造先生は「燃えるしばは聖徒(クリスチャン)の型であり、その炎は主の臨在のしるしである」と言われています。また、燃えているのに燃え尽きないのは「焼き尽くさるべきものが、焼き尽くされたからである」と、霊の最高峰の表現で説明されています。
この柏原教会に、『燃えるしば』が座っておられる。クリスチャンは、教会は『燃えるしば』のような存在です。そこには、社会的な地位や名誉や才能や富や困窮や健康や弱さや信仰の長さや、男や女やなど、それらのことは問題にはならない。ただ、人間は皆、弱い、もろい、燃え尽きやすい存在です。その我々が、何と、燃えて、燃え続けて、輝いておる。これは『見物』です。『大いなる光景』ではないでしょうか。
2013年の新年聖会において、私たち一人ひとりが、『燃えるしば』の存在にさせていただきましょう。
『燃えるしば』の第一は(聖霊の)火を受けたクリスチャンです。火は内部の腐敗まで焼き尽くす性質を持っています。聖霊の火によって、過去のあやまち、罪、自我性等「焼き尽くさるべきものを焼き尽くされたクリスチャン」です。これが、クリスチャン生活のスタートです。
第二は、5節に『あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である』とあります。くつを脱いだクリスチャンとは、神様に主権を明け渡したクリスチャンです。あなたは、信仰生活の中で、主の前でくつを脱いだご経験がおありでしょうか。そこは、礼拝堂でも、工場でも、田畑でも、満員電車の中でも、どこであっても、神の臨在のあるところは、聖なるところです。くつを脱ぐとは、自分の権利を放棄し、神様の前に「主よ、みこころだけをなして下さい」と、神様に『下駄を預ける』、何もかも任せ切ったクリスチャンです。向後昇太郎先生は、「われわれは、“神ぶらりん”の信仰生活だ」と言われました。
第三は、焼き尽くされたクリスチャンは、火の動力で神の愛に、救霊に燃えるクリスチャンに変えられます。ホーア先生の墓標には、キリストによって願う『汝ら神と和らげ』と記されています。召されて後も伝道しておられるのです。
7節で『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている』と、8節に『わたしが下って来たのは、彼らを上らせるためだ』と、そして、モーセに10節で『今、行け』と言われています。
これがカルバリの主の御声です。血の御声です。
神様は、「あなたが天国に行くことは感謝だけれど、家族に、兄弟に、親戚に、友人、知人に、河内の人たちに、日本の人たちに、伝道してくれないか、献げてくれないか」と迫っておられます。
あなたの目は何を見ておられますか。あなたの耳は何を聞いておられますか。あなたの心は神とともに痛んでおられますか。
ホーア先生から受け継がれてきた柏原教会が、主に明け渡して、『燃えるしば教会』としていただこうではありませんか。