柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主の再臨に備える」ローマ13章11-14節

先週は、国会が開かれましたが冒頭でいきなり解散となりました。そして今月国政選挙が行われますが、日本にとっても大切な選択のときであると思います。世界情勢も混沌とした状態でマタイ24:6~7の御言葉が思い起こされます。
新約聖書が書かれた1世紀の時代は、ローマによって支配されていました。そして信仰の弾圧・迫害があったのですが多くのクリスチャンは抵抗することなく殉教を選びました。しかし、そのことにより一層キリスト教信仰は全世界に広まったのです。キリストの十字架には力がある、人を救うことができると実証されたのです。


1,主の日は近い

この手紙はローマにいるクリスチャンに書かれましたが、信仰の故の困難はありました。なぜなら、皇帝が絶対的権威者であり、それ以外は認められていなかったのです。キリストを信じるクリスチャンに、立てられている権威に従うことをパウロは勧めています。それ故に当時のクリスチャンが政治的な反対をし、運動を起こすということはありませんでした。しかし、信仰においては必ずキリストが来られ、全てを裁かれ支配されることを信じていたのです。そしてそれが彼らの大きな望みでした。この世は一瞬であるが、やがて来たるべき神の国の現れがある、真の王であるキリストが来られると信じていたのです。ですから、彼らは権力に武器を持って戦ったり、反抗することはありませんでした。
むしろ、実際に神の前で生きることを実践したのです。ですから、この直前の言葉(8〜10節)は愛のことが語られているのです。愛は害を与えないのです。ですから、1世紀の時代のクリスチャンは人々に害を与えませんでした。私たちもそうでありたいと思います。
眠りからさめるべき時刻、それは魂の覚醒であり、主にお会いするときが近づいていることを覚るときです。私たちはキリストにお会いしなければ、キリストによらなければ天国に入ることはできません。キリストが私たちの唯一の救い主であり、天国には入れる弁護者なのです。信仰において寝ていたら暗闇に閉め出され天の都に入れなくなってしまうのです。


2,キリストを着る

キリストが来られるときはおそらく、栄光に輝いた姿であろうと思われます。そして全てが明らかにされるのです。私たちは闇のわざを捨てなければなりません。悪を行っていてはいけないのです。その悪とは、13節に出ている事柄です。国会議員のスキャンダルや悪行が新聞テレビや雑誌でも明らかにされました。まして、光の主であるキリストがお出でになるなら、私たちは悪の行いをやっていて良いのでしょうか。キリストは罪を裁かれます。私たちは13節にある罪と共に滅んでいって良いのでしょうか。正しい生き方をしなければならないのです。私たちの行いが変えられなければならないのです。誰が自分の生き方を変えることができるでしょうか。私たちの意思や思いで神の御心に適った生き方ができるでしょうか。
実はできないのです。だからこそ14節の御言葉が必要なのです。キリストを着る、ということです。12節の光の武具を身につけることであり、霊の戦いに勝利することを意味し、14節の肉の欲に勝利することです。キリストを着るとは、キリストに似た者となる、すなわちキリストが心の中におられて、闇のわざを打ち破って下さり、肉の欲に打ち勝って下さる、勝利の主が私のうちにおられることです。この方が私たちの光の武具となって私たちを守って下さるのです。キリスト教の擁護者、教父であったアウグスチヌスは、子どもの賛美歌を聞き、この箇所を読んで肉欲に打ち勝ったと言われています。彼もまた、キリストを着たのです。キリストの愛に包まれ、光の武具を身につけて勝利したのです。私たちもその勝利と喜び平安に与る者とさせていただきましょう。


            (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)