柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神から生まれた者」1ヨハネ3章7-12節

今は実りの秋を迎えています。「天高く馬肥ゆる秋」と言われますが、馬だけでなく人間も肥える秋です。しかし肉体以上に、私たちが自分の心が豊かになることを願うものです。
それはまた、神の御業によって可能となってくるのです。


1,罪の問題

この世では信じられない事件があります。先週も家族6人を殺して火を付けたと言うような事件が報じられていました。一体何があったのかは詳しく分かりませんが、常識では考えられないことです。
しかし、聖書は私たちに大事なことを示しています。8節を見ますと「罪を犯している者は、悪魔から出た者です」と聖書は言っています。ただその人が悪いというのではない、その背後には悪魔がいる、聖書はそのことを私たちに語っています。この悪魔―サタンは最初から存在したのではありません。神様は全てのものを造られ、非常に良かったと言われました。しかし、その後に罪が生じたと創世記にあります。その原因はサタンでした。サタンは初め天使でした。天使長の一人であり、それが神に逆らい自らが神になろうとし、ついには天から振り落とされたのです。それが悪魔となり、この世の君、闇の主権者とも呼ばれ、この世を支配しているのです。
神は人をご自分の像(かたち)に似せて人間を造られました。それは互いに愛し合い、支えるためであったのです。ところが、サタンの誘惑に会い、彼らは神のようになりたいと言う欲望に負けてしまって、罪を犯したのです。サタンとは何か、それは私たちの心の隙を狙って罪を犯させる、悪を行う者です。
12節にカインのことが出て来ます。彼はアダムとエバの長男でした。弟はアベルでした。彼らは神様に献げ物をしました。ところがアベルの献げ物を神様は喜ばれ、カインは顧みられませんでした。アベルは最上のものを献げました。カインは、ある程度良いものを献げました。当然、神様は最上のものを喜ばれます。それは、アベルの正しさでした。それで彼は義人と称されたのです。カインはそれを妬み、それが怒りに変わり、ついに殺してしまったのです。罪は些細なところから始まります。そして、それがだんだんと大きくなり、取り返しのつかないことになってしまうのです。私たちはこの罪を解決しなければなりません。なぜなら、「罪の支払う報酬は死である」すなわち永遠の滅び、地獄に行ってしまうと警告されているのです。一体どうすれば、私たちは罪に打ち勝つことができるでしょうか。どこに解決があるのでしょうか。


2,神から生まれる

この世は悪魔に支配され、永遠の滅びに向かっているのですが、主なる神様はその滅びから救うために、御子イエスを遣わされました。それは悪魔の業を滅ぼすためです(8節)。どのようにして滅ぼされたのでしょうか。それは自らが十字架にかかって死ぬことを通して、罪の赦しの御業を行われたのです。あのカインに殺されたアベルはどうだったでしょうか。一つの推測ですが、おそらく彼は無抵抗であったと思います。カインは悪い行いをし、アベルはその行いが正しかったのです(12節)。それは7節には、義の行いとは神の目から見て正しいと言うことです。しかも、そこのことはキリストが正しくあられるのと同じように正しいとあります。キリストはどうだったでしょうか。彼は祭司長・律法学者・長老たちに訴えられました。しかし自己弁護は一つもされませんでした。しかも十字架の上から、彼らのためにとりなしの祈りをされたのです。それがキリストの正しさです。おそらく同じような思いをアベルは実行したでしょう。彼もまた、キリストのように無抵抗で自分のいのちを献げたことだったでしょう。それは最初の殉教者ステパノも、続くクリスチャンたちも皆同じであったのです。パウロもペテロもそうでした。
なぜ、彼らには可能だったのでしょうか。9節に、神から生まれた者とあります。それは、肉体の生まれではありません。霊的な生まれ、信仰によって新しく生まれることです。そのことは?コリント5:17やヨハネ3:5にも言及されています。そしてここでは神の種がその人の内に留まっているとあります。神の種とは何でしょうか。神の御言葉であり、ヨハネ1:1によるなら、「ことば」は神であり、キリストです。キリストが内に宿って下さる。この方により新しく生まれた、新しい生き方ができる、なぜなら種には力があります。生命力があります。種は生長し、やがて実を結びます。ガラテヤ5:22,23にある聖霊の実です。
木はその実によって分かります。神の子どもと悪魔の子とども、どこで区別されるのでしょうか。10節を見るなら「兄弟愛」です。そのことによって見分けがつきます。キリストは私たちの罪のためにいのちを捨てられました。それは私たちが互いに愛する者となるためです。
そのためにも、まず私たちは神の種―キリストを内にいただいて、信じて、実を結ぶ者、互いに愛することができる者とさせていただきましょう。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)