柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストを着る」ローマ13章11-14節

4月13日関西で大きな地震がありました。幸い甚大な被害はありませんでしたが、終わりの日が近いことを感じさせられます。イエス様もマタイ24章で地震のことや戦争が起こることを語られました(マタイ24:6、7)。しかし、それは最後ではなく始まりなのです。私たちは気をつけなければなりません。


1,目を覚ます

神様は私たちに警告を与えて下さっています。国が国に対して敵対し、やがて戦争が起こります。私たちは、聖書の御言葉を読み、目を覚まさなければならないときが来ているのです。
そして、その現れは、救いに関して聖書で語られているとおりになるということです。「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ24:14)私たちは安心しきっていてはいけません。終わりのときが近づいていますし、イエス・キリストの救いを一人でも多くの人たちに伝えなければならないのです。


2,闇のわざを捨てる

12節に夜と昼が出て来ます。犯罪は白昼よりも夜の方が多く発生します。今の時代は、夜が更けていくような状況にあります。ますますこの世は悪くなる一方です。しかし、ここでは不思議な言い方で語られています。「夜はふけて、昼が近づきました」それは、さらに世はますます最悪の状態になっていくけれど、突然にして神様が支配される時が現れることを語っているのです。
神の再臨は徐々にではなく、ある日突然に来られるのです。そして、そのとき闇で行われていた悪事がすべて暴かれ、裁かれることが聖書に語られています。マタイの25章にはキリストの再臨と裁きのことが出て来ます。人は死んだ後に神の前に出て、天国に入るものと永遠の滅びに行くものを裁かれるのです。
そして、救いに与ったものも、しなければならないことがあります。それは闇のわざをうち捨てることです。闇のわざとは13節に出てくることです。リビングバイブルでは「どんちゃん騒ぎをしたり、酔っぱらったり、姦淫したり、肉欲にふけったり、争ったり、ねたんだりして時間を浪費してはなりません。」とあります。そのような神に対する罪をかなぐり捨てて、光の武具を身につけなければならないのです。今は、サタンとの霊的な戦いのときです。アダムとエバはサタンに負けてしまいました。彼らは裸でした。しかし、神様は私たちに、身につけるものを与えて下さっています。


3,キリストを着る

それは、キリストを着るということです。12節には光の武具を着けようとあります。そのことについてはエペソ6:11に「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」とあります。なぜ武具を身につけるのか。それはサタンとの戦いであるからです。エペソ書6章には様々な武具が具体的に書いてありますが、それを一言で言い表すなら、キリストを着るということです。キリストを身にまとう。キリストにすっぽりと包まれ、覆われて自分の身が守られるということです。
私たちもキリストを着なければなりません。悪魔に対抗するために、丸腰では勝利できないのです。私たちは、キリストを着ることにより、守られるのです。着るという言葉には、もう一つ意味があります。性質が似るということです。キリストに似たものとなる。それは、私たちの努力ではできません。しかし、キリストを着るなら、キリストに覆われすっぽりと包まれるならその通りになるのです。
キリストを着るとは、古い自我に対して死んで復活のキリストが心の内に住んで下さることです。パウロは「キリストが私の内に生きておられる」(ガラテヤ2:20)と証ししました。私たちもそのように生きるものとさせていただきましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)