柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の武具」 エペソ人への手紙 6章13∼17節

 私たちの生活の中でときおり、不可解な事件や事故が起こることがあります。
不吉な予感がするとか、魔がさしたとか、そのようなことばを聞きます。


1,サタンとの戦い


 この世には人間だけが動いているのではなく、この世を支配するサタン、諸々の悪霊がいるとパウロは言います。

 世界の始めでもサタンはアダムとエバに近づき、とって食べてはいけない、木の実をとらせ、罪を犯させ神様から離してしまいました。それ故、祝福を受けられず汗を流して苦しい労働をし、苦しんで子を産まなければならないようになったのです。苦しみが始まりました。それを解決するためにイエス・キリストは来られました。私たちの悩み苦しみを負って下さり、ご自分のいのちを持って救って下さるのです。他にはいません。


2,サタンに対する守りの武具

 パウロはエペソで獅子と戦ったことがあると言いました。おそらく強靱なサタンとの戦いであったかと思います。戦いには武器が必要です。その当時、主だった町にはローマ兵がいました。誰もが目についていたと思います。その姿を見てパウロは、クリスチャンとして必要な武具について語っています。


①真理の帯を締める。

 帯は武具ではありません。しかし、着ている服がほどけてしまっていると戦えないのです。機敏に動くことはできません。ですから、しっかりと帯を締めて戦う。クリスチャンの戦いは心の戦いです。心理的な戦いです。心が負けると気持ちも弱くなり、力をなくしてしまいます。ですから、心の帯をしっかり締め、相手にひるむことなく向かっていくのです。
心の帯は真理です。真実ほど強いものはありません。真理によって堅く引き締められ、相手に向かって行くことができるのです。


②二つ目には胸当てです。

 胸当ては心臓を守るものです。私たちの心を守るものは正義です。不義を行っていて、悪に向かうことはできないのです。ですから私たちの心は正しいもの正義によってきよく、一点の汚れや曇りがないものにしてもらわなければ、悪魔には打ち勝つことはできないのです。
私たちの心をきよくするのは、キリストの血潮です。Ⅰヨハネ1:7にある「御子イエスの血、すべての罪より我らをきよめる。」のです。


③足には平和の福音を履く。

 兵士の履く靴は頑丈です。どんな荒れ地でも岩場でも、難なく移動できるのです。
靴がしっかりしていなければ戦うことはできません。クリスチャンの履く靴は平和の福音です。平和です。福音とはなにか。良い知らせです。
それはイエス・キリストが、十字架で私の罪を負って身代わりに死んで下さった。赦して下さった。そして死からよみがえられて勝利が与えられる。
キリストは生きておられる。これが良い知らせなのです。キリストによって救われる。この靴を履くならどこにでも行けるのです。


④信仰の盾、

 これは大楯であり悪魔の火矢を防ぐものです。宗教改革をしたマルチン・ルターも悪魔に攻められました。しかし信仰によって勝利し、改革を進めることができたのです。


⑤救いのかぶと。

 かぶとは頭を守るものです。頭がなければ考えることはできませんし、戦うこともできないのです。私たちを守るのは救いです。
自分がよいことをしてクリスチャン、神の子となったのではありません。キリストが十字架で罪を赦し救って下さったからこそ、神の子となることができたのです。
すべてはキリストによると考え自分ではなくキリストが救って下さったと信じることが救いです。私たちの思いや考えを守ります。


3,サタンに対する戦いの武具

唯一の攻撃の武器は ⑥御言葉の剣です。

エス様も悪魔に試みられたときすべて御言葉によって勝利され悪魔を撃退されました。私たちも、日々神様からの御言葉、聖書を読んで悪魔に勝利し、喜びと感謝に満たされて生きる者とさせていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)