柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神のいやし」イザヤ57章15-19節

今、教会のカレンダーでは、受難節と呼ばれるときです。イエス・キリストが十字架にかかり、死の中からよみがえられたことを覚える大切な時です。
 なぜなら、私たちの救いはこの十字架と復活にあるからです。キリストの十字架と復活により私たちは死の滅びから救われるのです。世の多くの人は、信仰と言うと、御利益と考える人が多いと思います。自分に利益があるから信じる、信仰する。しかしキリスト教は御利益宗教ではありません。むしろ、命の宗教と言われるべきものであると思います。イエス・キリストが与えて下さるのは、この世の利益、自分の幸福ではなく、永遠のいのちを与えて下さるのです。


1,キリストの御姿

キリストはこの世に来られる前、「高く聖なる所に住む」方、神の御子、神ご自身であったとここに記されています。
しかし、神であられることを固守されることなく、私たちと同じになり、しかも私たちの罪を赦すために、「へりくだった人とともに住む。」とイザヤによって預言されていたのです。それはユダヤベツレヘムの家畜小屋で生まれ、ヘロデに命を狙われエジプトにくだり、その後、ナザレの田舎で30年あまり大工の子として生活されたのです。


2,砕かれた心

キリストが来られたのは、私たちを罪から、罪の滅びから救うためです。17節に「むさぼりの罪」とありますが、例えばダビデはどうだったでしょうか。多くの妻がありながら、バテシバをウリヤから奪い、彼を殺し、姦淫の罪を犯したのです。しかし、彼の罪は、ナタンによって示されました。彼はそれを認めて、悔い改めたのです。彼の悔い改めの心は詩篇51篇によく表されています。彼の悔い改めのゆえに、主は赦し癒やされたのです。彼は、神の犠牲は「悔いし砕かれた心」であることがわかったのです。
そして、ここでの「心砕かれ」や謙遜は、とてつもない意味があります。木っ端みじんに打ち砕かれる、ぐうの音もでない程に粉々にされると言うことです。それはまさに、十字架によって表されました。鞭で打ちたたかれ、磔にされたのです。イザヤ書の53:4,5の成就です。そして、その打たれた傷によって、十字架によって、私たちの受けた傷はすべていやされるのです。


3,霊と心を活かす

主は、私たちの魂を十字架によっていやし、新しくして下さいます。その違いは、くちびるの実によって表されます。くちびるの実とは、口から出てくる言葉です。それは、神への悔い改めの言葉であり、キリストを信じる信仰の告白であり、神を崇めほめたたえる言葉です。
あの十字架で一緒につけられた一人の強盗も、救われました。彼の言葉は「私を覚えて下さい」と言ったのです。彼もまた、心砕かれ、真に神の前にへりくだったものとなったのです。そして、イエス様は、天国を約束されました。おそらく彼の心は平安だったでしょう。19節にも、平安、平安と2回出てくるのです。そして何よりも主は命を与えられます。永遠のいのちです。それは、人を活かす聖霊の働きです。活力を与え、希望を持たせます。イザヤ書40:31にある、新たなる力、活力を与えて下さるのです。死んでよみがえられた方は、へりくだった人のうちに住んで下さり、力の源となって下さるのです。


            (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)