柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「勝利の入場」ルカ19章33-38節

今日はシュロ(棕櫚)の日です。ここには出てこないのですが、他の福音書には人々がシュロの木の枝を持ってきて、イエス様が来られるのを歓迎していることが記されています。私たちにも大切なことが教えられています。


1,預言の成就

このことはただ偶然に起こったことではなく、すでに預言されていました。それはゼカリヤ9:9に、救い主が来られることの預言が記されています。
そして、このことがイエス・キリストを通して実現したのです。


2,真の王

イエス・キリストは、ゼカリヤによれば、あなたの王と言われています。過去の歴史的人物というのではなく、今現実に生きている私に対する王である、と聖書は私たちに語っています。私たちは、自分の意思で生きている仕事もしているそのように思っています。しかし、私たちは物を生み出すことはできません。造り出すことはできないのです。すべては与えられています。自分の命も住んでいる地球でさえも、偶然に存在しているのではなく、すべては神様によって造られ活かされているのです。しかも、造ってほったらかしではなく、私たちを活かし守って下さる方である。その方が、私たちの王であるとゼカリヤは預言したのです。
そして、その方は正しい方であり、救いを賜り柔和であると言っているのです。まさにそれは、イエス・キリストのすがたそのものです。病の人をいやし、悪の道に歩み滅びる者を救い人生を変える力のある方です。もちろん私たちを押さえつける方ではなく、柔和で心優しい方です。それがイエス・キリストです。そして預言されていたように、ロバに乗って、平和の君として、来て下さった方なのです。


3,私たちの救い

この方は、人々から歓迎され祝福をもって迎えられました。しかし、金曜日には十字架につけられたのです。歓迎していた人たちが、手のひらを返したように「十字架につけろ」と叫んだのです。
そして、キリストは喜んで十字架に死んで下さいました。それは私たちの罪の身代わりであり、私たちの罪の代価をご自分の命を持って支払って下さったのです。
ですから、私たちがイエス・キリストの十字架は自分の罪の赦しであると信じるなら、私たちは罪が赦され罪から解放されてほんとうの心の平和、平安に与ることができるのです。キリストは、平和の君と呼ばれました。しかし、ゼカリヤはあなたの王が来た、と預言したのです。
是非キリストを心にお迎えし、私の王としてキリストに従う者とさせていただ来ましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)