柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの大使」2コリント5章19-21節

今年は、柏原教会が創立されて85年となります。神様の救いは、エルサレムから始まり、東のはて日本にそして柏原にも伝えられてきたのです。これは神様の大いなる愛以外のなにものでもありません。


1,神との和解

私たちは救われる以前、全く神様とは関係のない生き方をしていたと思います。すなわち神に従わない生活、自分勝手な生き方です。
聖書は、私たちにそのことを「罪」という言葉で知らしめています。すなわち罪という言葉の一つの意味は、「的外れ」ということです。別の言葉で言うなら、空しい、充実感がない、つまらないと言うことです。子どもでもあります。おもちゃがほしい、だだをこねて買ってもらう。しばらくは嬉しくて遊んでいる。しかし、時間が経つと飽きてくる、面白くないと言って、あんなに欲しかったおもちゃも捨ててしまうのです。
飽きてしまう、つまらない、といった心が大人にも子どもにもあるのです。一体何が私たちの心を満たしてくれるのでしょうか。それは、私たちを造って下さった神様以外にはおられないのです。神様の所に行く以外に、私たちの心を、魂を満たす者は他にはありません。
もう一つ「罪」の意味は、不法、約束を破ると言うことです。アダムとエバは神様との約束を破りました。取って食べていけない木の実を、サタンに欺かれ、取って食べて約束を破ったのです。それが、罪です。彼らは裸であることがわかり、身を隠し、言い訳をしましたが、祝福を失いました。神様から隠れ、謝りもしない、言い訳をして逃げる。それが、祝福を失った者の姿です。それが、罪の現実なのです。現在も同じです。サタンにだまされ、多くの人は罪を犯し、心には喜びがない、満たされない、不法を行って破滅の人生を歩んでいるのです。その行く先は永遠の滅びです。
しかし、感謝な事に、神様は私たちに、罪の恐ろしさを知らせ、そして、その滅びの中から救って下さるのです。それが、キリストです。
私たちは、神様に対して罪を犯し、滅びに行くものでした。しかし、そのような私たちを神様は愛して、罪を赦して下さるのです。和解とは罪の赦しです。キリストのみが、私たちの罪を赦し、和解をして下さる方です。


2,罪の赦し

それでは、どのようにして私たちの罪は赦されるでしょうか。「違反行為の責め」とあります。違反をしたら、罰金を払わなければなりません。罪の罰金とは何でしょうか。それは永遠の死、滅びです。しかし、神様はその滅びを、私たちに負わせないで、罪を知らない方、罪を犯したことのないキリストに負わせられたのです。それが、十字架です。十字架は苦しい罰です。裁きです。キリストは私たちの身代わりとなって裁かれ死なれました。そのゆえに、私たちはキリストの十字架が自分の罪のためであったと信じるなら、神の義、すなわち罪の赦しが与えられるのです。
罪の赦しとは、永遠のいのちが与えられることです。祝福されることです。すなわち、心が満たされ、喜びがわき上がり、神様に感謝を献げ神様をほめたたえる者と変えられるのです。魂の満たしが与えられるのです。


3,キリストの大使

そればかりではありません。何と神様は私たちをキリストの使節、すなわち全権大使として用いられます。私たちに神との和解の言葉を与えて下さり、空しく生きている人や、喜びのない人に、キリストに代わって和解を与えていくことのできる者となるのです。それは、助け主慰め主なる御聖霊が私たちのうちに働いて下さり、私たちを用いてキリストの救いすなわち、罪の赦しを得させて下さるのです。
私たちは、ただ救われただけではなく、神様は私たちをキリストの大使として下さった、その自覚をうちにいただいて、イエス様の愛を表すものとさせていただきましょう。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)