柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「良い牧者」ヨハネ10章7-18節

聖書に羊のことがよく出て来ます。羊はイスラエルの人にとっては、生活に欠かせない家畜であり大切な財産でした。
しかし聖書に出てくる羊のたとえは、神様にとって私たちが大切な存在であるということを教えています。


1,いのちを与える

エス様はご自分を良い牧者と言われました。牧者と言うのは単なる羊飼いではありません。羊の所有者です。当時は、雇われ羊飼いがいました。イエス様が生まれるとき、野原で羊の番をしていた羊飼いも雇い人でした。ですから狼が出て来たり、大変なことがあると、逃げて行く者もあったのです。自分の命が大事だからです。
ところが所有者はちがいます。羊は自分の財産ですから守ります。狼にも立ち向かい、追い払います。
そしてここでイエス様は、ご自分を良い牧者と言い、さらには良い牧者は羊のために命を捨てると言われたのです。これはただの羊の所有者ではありません。この世の所有者は、羊を殺して肉を食べたり、毛皮をとったりします。先に出て来ている、盗人や強盗は、羊を殺し、滅ぼしたりするだけのためと言われています。直接的には、パリサイ人や律法学者のことを言われていますが、その元凶となっているのはサタン―悪魔です。サタンは人を殺したり滅ぼしたりします。アダム・エバの時代から人を誘惑し、この世の素晴らしさや豪華なものを見せて、神から引き離そうとするのです。そしてその目的は滅ぼすことです。
しかし、イエス様がおいでになった目的は、羊に命を得させ、そしていのちを豊にするためです。
いのちを捨てるとは何でしょうか。十字架です。十字架にかかって、私たちの罪を赦してくださると言うことです。罪の最大の報いは何でしょうか。死ぬことです。しかし、死んでも罪を消すことはできないのです。ところが、イエス・キリストは完全な罪の赦しをすることができるのです。なぜでしょうか。イエス・キリストはいのちの創造者、新しくいのちを与えることができる方だからです。


2,いのちの権威

エス様には権威があります。何の権威であるかというと、18節にある、いのちを捨てる権威であり、それをもう一度得る権威があるということです。
十字架にかけられたのは、イエス様が弱かったからではありません。だれも取ることはできないとはっきりと言われています。サタンも奪うことはできないのです。なぜ、十字架に死なれたのか、それは、私たちを滅びから救うためです。罪の代価を身代わりに、自分の身をもって、いのちの代価を持って払って下さったのです。私たちの罪の償いをして下さったのです。それは、私たちを愛するためでした。また、父なる神様に愛されて、その権威を与えられたからです。勝手にされたことではないのです。命令を受け、そして十字架の死に至るまで従って下さったのです。ですから、私たちはイエス様の十字架により、いのちが新しく与えられました。それは、復活のいのちであり、聖霊による新しいいのちです。そのいのちは死にません。滅びません。永遠のいのちです。そして、それは豊です。溢れる泉のように、わき上がってくるいのちです。自分だけではなく、人をも潤します。イエス様はそうでした。病の人を癒やされ、死人をよみがえらせる、罪人を赦し、傷ついたものを慰められるいのちを与えて下さる方です。その方によって、私たちはいのちが得させられて豊に持つことができるのです。 


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)