柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「必要は満たされる」マタイ6章31-34節

今日の聖書の箇所に「心配するな」という言葉が出てきます。人間とは心配する生き物です。ネコや犬は不思議ですけれど心配しません。
それは旧約聖書の創世記を見ると疑問が解けます。神様は人間をご自分の「かたち」に似せて造られたと聖書は言っています。その「かたち」とは人格であり心です。
そして、私たちを造られた創造主―真の神様から離れてしまうと、人間は不安になるのです。
この世で生きている人の多くは真の神様を知らないで生きているのではないでしょうか。「心配」とは、心がいろいろな方向に向かい分散して混乱することだとある人が言いました。私たちはどんな服を着ようか、どんなものを食べようかとか、どんな家に住もうかと心配することもあります。ある人は考えすぎて心が分散し、自分の心でまとめることができなくなり混乱し、ノイローゼにおちいる人もいます。
でも、神様を信じるときに、心の混乱は収まり調和が取れてきます。


1,神の国と神の義を求める

イエス・キリストはまず、食べるものや飲むもの、また着るものを求めるのではなく、神の国と神の義とを求めなさいと言われます。神の国とは、神様の支配です。すなわち、キリストが私たちの心の中の王となられ治めて下さるのです。イエス様は病めるものを癒され、空腹な人たちを養われ、友なきものの友となって下さいました。その方が私たちを治めて下さるのです。
神の義とは何でしょうか。それは神御自身の正しさです。私たちは自分が正しいと思っていても間違いを犯すものです。私たちは完全ではありません。神の義とは、すべてのものを造られ支配されておられる神と私たちの関係にあるものです。たとえ私たちが過ちを犯しても神様は責任を取って下さると言うことです。
義という字は我の上に羊があります。羊が私を覆ってくれるときに、正しいと神様は認めて下さる、宣言して下さるのです。その羊とはイエス・キリストです。私たちは神の怒りを受ける者でした。しかし罪のないイエス・キリストが私たちのために覆い被さって下さり罪を犯した私たちを守って下さったのです。私たちの代わりに神の怒りをその身に受けて下さったのです。それが十字架です。そして、私たちを神の栄光に、恵みに与るものとして下さったのです。


2,心配を神に委ねる

神様は私たちを子として取り扱って下さいます。私たちの天の父は、私たちが必要なものを知って下さいます。この世で生きるための衣食住を知っておられます。そして、私たちを養うことのおできになる方です。
神様は私たちに心配するな、私に任せなさいと言われます。イエス様は、「すべて重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」と言って下さいます。神様は、私たちの思いわずらいを取り除いて下さり、愛と恵みをもって私たちの心を満たして下さいます。私たちのすべての必要を満たされる方です。


                 (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)