柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰による戦い」1テモテ6章11-16節

今ブラジルでワールドカップのサッカーが行われています。どの国のチームが勝つか興味深く見ている人も多いと思います。
私たちの信仰は、サッカーにも似たところがあるように思います。それは一人ではできないと言うことです。私たちの礼拝も一人ではありません。共に集まり、神様に感謝を献げる、このことを神様は喜ばれるのです。そして日曜日に集まるのも、死の中からよみがえられたイエス・キリストを共に礼拝するところにあるのです。
私たちの目指すところは、神の国―天国です。それが私たちの信仰のゴールとなるのです。


1,神の人として生きる

神の人とは、神に召された人また救われた人です。ここではテモテのことですが、私たちすべてに当てはまります。まず、第一に避けるべきことが語られています。
それは、4節以降にある、高慢や疑い、言葉の争い、さらには誘惑とわな、金銭を愛することなどです。10節には金銭を愛することは、悪の根と言われ、自分を刺し通すとパウロは言いました。現代でも、お金に振り回され多額の借金で自らを刺し通しているような人もいます。苦しみに陥ってしまうのです。私たちは、与えられているもので感謝し、満足すべきなのです。
逆に熱心に追い求めよと、パウロは勧めています。それは、11節に出てくるものです。すべては神様に関係のあるものです。ガラテヤ5章22〜23節には、聖霊の実として出てきます。これらのものは、私たちが努力して得られるものではなく、神様が私たちに与えてくださるものです。それらのものを、神様に熱心に求めなさい。祈りなさいとパウロは、弟子のテモテに勧めたのです。
なぜ前述のことを避け、聖霊による賜物を熱心に追い求めるのか、理由があります。
その一つの理由は、信仰の戦いがあるということです。現実に、私たちはこの世に生きていて不安を感じたり、心が弱くなることがあります。そのために、まず自分の心が整えられる必要があります。避けなければならない悪しきもの、高慢や疑い言葉の争いなどを私たちの心から取り除いていただかなければなりません。そして、私たちの心に正しさや敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和と言ったものを聖霊によって与えていただかなければ、勝利することはできないのです。
神様は、私たちの心を十字架によって、その流された血潮によって洗い清めてくださり、聖霊によって私たちの心を満たしてくださるのです。そして与えられるものは何か、永遠のいのちです。それを獲得することです。それが私たちのゴールです。天国には入れるのです。


2,神が現される

15,16節には神の偉大さが語られています。パウロは、聖書の神を信じてはいましたが実感はありませんでした。また明確にはわかっていませんでした。ところが、クリスチャン迫害のさなかに復活のキリストにお目にかかってはっきりと神がわかったのです。彼は神を経験しました。そして、人生は180度方向転換したのです。彼の神体験はまさに祝福してくださる神であり、彼にとっては唯一の主権者です。それは、彼だけではありません。同じように信じる人たちは、神こそ唯一の主権者であり従うべきお方であると決心しました。それによってますます、イエス様の救いが伝えられたのです。彼こそまさに王の王主の主です。ヘンデルメサイアが上演されたときにもイギリスの国王は立ち上がったと言う逸話があるのです。
そして、死なないお方、復活の主です。この方が私たちに永遠のいのちを与えてくださいます。そしてやがて、私たちはその栄光の神の御許に招き入れられるのです。なんと幸いなことでしょうか。
パウロは栄光を神に帰し、褒め称えているのです。私たちにもまた、困難の克服とその勝利が豊かに与えられるのです。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)