柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰による救い」使徒16章22-34節

私たちのキリスト教信仰の原点はどこにあるかというと、信じる信仰にあります。そして、その対象は、私たちのために十字架にかかって死んで下さったイエス・キリストです。
キリストは死んで終わられたのではなく、死からよみがえられ私たちに復活の命を与えて下さるのです。弱りやすい夏に向かっていきますが、信仰によって乗り越えさせていただきたいと思います。


1,信仰による試練

もともとパウロユダヤ人であり、彼はユダヤ人に伝道をしていました。それは神様が選ばれ、そして彼らを救うことが第一の使命であると思っていたからです。
ところが、彼はトロアスという海辺にある町に神様に導かれてきたとき、マケドニア(ギリシャ)人が私たちを助けて下さいと懇願する幻を見たのです。そして、彼はマケドニアに渡りました。最初に行ったのがピリピの町です。そこで、占いの霊に取り憑かれた女が、救いの道を宣べ伝えている人ですとしきりに叫び、ついにパウロは彼女に取りついていた悪霊に向かって出て行けと命じたのです。占いは神から出ているのではなく、悪霊の働きです。私たちは注意しなければなりません。
ところが、その占いをする奴隷の主人は、儲けがなくなったことを見て、パウロたちを訴えたのです。なんとパウロは、何度も鞭で打たれて、牢屋に閉じ込められました。イエス様を信じたら良いことや楽しいことばかりとは限りません。また、試練の時もあるのです。しかし、神様は私たちに耐えられないような試練を与える方ではないのです。神様は愛なる方です。ですから、私たちを懲らしめようとして、試練を与えられるのではなく、私たちを成長させようとして、私たちを強くしようとして、試練を与えられるのです。これから本格的に暑くなるでしょう。日差しも強くなります。それは、植物の生育には欠けてならないものなのです。稲も、熱い日差しを受けてぐんぐんと成長し、秋には素晴らしい実りがもたらされるのです。
ですから、私たちの人生に試練が与えられることは、私たちの人間性・品性を練りきよめ、そこに優しさや寛容が生まれてくるのです。苦しんだ人が人間の弱さがわかり、人に対して優しくなれると言われますが、試練は私たちの人間性・品性・人格を練り、きよめるのです。


2,信仰の力

信仰は不思議なものです。不可能を可能にする力が与えられます。神様は、私たちを勇気づけて下さいます。私たちを励まして下さる方です。神様の力また助けを私たちはどのようにして受けることができるでしょうか。それは、祈りと賛美にあります。私たちは、祈りによって神様に願い求め、賛美によって力が与えられます。私たちには救い主キリストがおられます。キリストはまた、私たちの祈りを聞かれる方であり、私たちに答えられる方です。
賛美はまた、私たちの心を励まします。そして、慰めを与えるものです。私たちが心の力を失うとき、萎えてしまいそうになるときは賛美することを勧めます。必ず、力が与えられます。 祈りと賛美をするとこに神の御業は現されます。ここでも、地震が起こり、牢の扉は開き鎖は解かれ、パウロたちは自由になったのです。しかし不思議なことに、囚人は一人も逃げませんでした。なぜ、彼らは逃げなかったのでしょうか。混沌とした中にも、神は共におられその中から逃げ出せるものはいなかったのです。おそらくは、そこに居合わせたすべての人に、畏敬の念が与えられ、彼らは心打たれておとなしくしていたことでしょう。


3,信仰による救い

牢屋の看守も驚きました。囚人はみんな逃げたと思い込んで自殺しようとしました。しかし、パウロはそれを止めて、助けたのです。看守は救いを求めました。どうすれば救われるのか。答えは「主イエスを信じなさい」と言うことです。そうすればすべての人は救われます。
看守は傷を洗い、二人を引き取って持てなしました。その家族は喜びに満たされました。なぜなら、父親が死なずにすんだからです。おそらく死んだら、一家もろとも路頭に迷うことになったでしょう。主イエスを信じることで、すべてが救われたのです。喜びが家族に与えられました。信じると必ず喜びがもたらされます。主イエスを信じるなら、不可能なことも可能となるのです。奇跡が起こり、私たちは救われ、そして喜ぶものとなるのです。


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)