柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「きよめる力」マタイ8章1-4節

今日、科学や医学の発達はめざましいものがあります。しかし、科学では解き明かされないもの「いのち」の問題があります。聖書は私たちに、永遠のいのちについて素晴らしい示唆を与えてくれます。


1,キリストは真の癒し主

当時も医者はいました。しかし、現代のようではなく民間療法やまじないなどを使ったものも少なくありませんでした。12年間長血を患って医者からひどい目に遭わされた女の人もいます(マルコ5:26)。
ですから、イエス・キリストに期待する人は少なくなかったのです。大勢の群衆が従ったと聖書に出てくるとおりです。また、ここに出てくるツァラアトに冒された人もその一人でした。ツァラアトはおそらく聖書にだけ出てくるもので、誤解をしてはいけないのですが、ハンセン氏病とは全く別のものです。
ツァラアトに冒された者は、隔離され、しかも歩くときは「自分は汚れたものだ」と言わなければならないほど、忌むべきものでした。それはまた絶望的なものだったのです。 ですから、ツァラアトに冒された人の唯一の希望は、キリストによって癒される以外にはなかったのです。


2,信仰による癒し

マタイの8章はいやしの章と言えると思います。ツァラアトの人や中風の人、悪霊に取りつかれた人が次々に癒されています。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。また、私たちにもその恵みが与えられるでしょうか。答えはイエスです。イエス様は誰でも癒すことができます。
ただ一つの条件、それは信じることです。ツァラアトに冒された人には信仰がありました。できると信じていたのです(1節)。問題は、イエス様がそのようにして下さるのかどうかだけでした。イエス様は、愛のお方です。なんと手を伸ばされ、触れられたのです。近づくだけでも汚れると言われていた、ツァラアトに冒された人にイエス様は手を伸ばされて癒されたのです。
清くなれ、ただその言葉によってその人は浄められ、ツァラアトは全く癒されたのです。


3,きよめる力

エス様には「きよめる力」があります。ツァラアトはひとの力で直すことのできないものです。それは神様だけができるものです。浄められたら、律法の規定によって献げることが聖書に出て来ます(レビ14章)。二羽の小鳥を持ってきて、一羽はほふり、その血をもってツァラアトからきよめられる者の上に振りかけられ、もう一羽は彼をきよいと宣言し、野に解き放ちます。なぜそのようにするのでしょうか。意味があります。血は、イエス・キリストの血、十字架の血潮を表します。御子イエスの血が私たちをきよめるのです(?ヨハネ1:7)。キリストの血には私たちを贖う―すなわち罪の赦しと、きよめる力があるのです。もう一つの生きている小鳥は何でしょうか。復活であり、新しい命によって罪から解放されたいのちを表しています。私たちも、その恵みに与ることができます。
ツァラアトを癒された人はどうなったでしょうか。彼は何と、大胆にもイエス様が癒されたと証ししたのです(マルコ1:45)。誰にも言わないようにと命じられたにもかかわらず、ふれ回りました。
私たちも、喜び感謝に溢れて、イエス様を証しする者でありたいと思います。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)