柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛の報い」マタイ5章38-41節

この世では、やられたらやり返すと言うことが多いと思います。しかし、そのままにしておくと愛が冷え憎しみだけがまし加わることになります。
一体誰が解決してくれるのでしょうか。その解決をキリストは与えて下さいます。


1,律法の限界

「目には目」「歯には歯」とは、出エジプト21章に出てくる言葉です。古代の法律ハンムラビ法典にも出てきます。目を傷つけられたら目を、歯を傷つけられたら歯をやり返す、同態復讐法と言われますが、それ以上にエスカレートしないようにと、争いを終わらせるために定められたのですが、決して最善の解決とはなりませんでした。
なぜなら人間には感情があり、赦せないという思いがあるからです。たとえ、殺人を犯した犯人が見つかり、刑に服したとしても被害を受けた人には許しがたい思いが残ることでしょう。法律では人の心を慰めたり励ましたり、力になることは出来ないのです。


2,実際的な苦しみ

エス様は、その当時の苦しみを具体的に語られました。まず一つのことは、侮辱を受けることです。卑しめられたり、辱めを受けることです。
右のほおを打つ者に、左のほおをも向けなさいとありますが、多くの人は右利きだと思います。右手で右のほおを打つとは、手の甲で打つと言うことです。中東では、人を侮辱することになるそうです。そんな仕打ちを受けると、カッとなりもっとひどいことになるのです。
そして、下着をとる者に上着をやることは、自分の権利を放棄することです。特に貧しい人は上着は一つしかなく、それで寝たり、寒さを防いだり自分が生きていくのに最低限のものであったようです。ですから、告訴されてもそこまでは取られないのが普通でした。しかし、その権利をも放棄しなさいとイエス様は言われたのです。
そして三つ目は、強制されることです。一ミリオンとは、ローマの距離単位で兵隊が千歩く距離―1,500メートルの距離です。当時ユダヤ人は兵隊に無理やり徴発されて荷物を運ばされることがあったようです。自分は神に選ばれていると考えるユダヤ人には非常な苦痛であったようです。
しかし、イエス様はそうした苦しみや卑しめに対しても積極的に対処しなさいと言われたのです。


3,愛によって報いる

法律には限界があります。また、私たちは、精神的にも肉体的にも弱い者です。何によって打ち勝つことが出来るのでしょうか。それは、そのことを命じているイエス・キリストによって勝利できると言うことです。
敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、とイエス様は言われましたが、事実十字架の上で祈られたのです。それは私たちに対する祈りです。私たちの悔しさ、惨めさ、苦しみを覚えて、十字架で赦してくださったのです。
仕返しをして、本当に喜びがあるでしょうか。おそらくないと思います。平安があるでしょうか。ないと思います。しかし、私たちが祈るなら、必ずキリストはこたえて下さいます。私たちに、その愛を与えて下さいます。十字架で祈られた主に私たちは、まず、自分が赦していただき、そしてキリストの愛によって、人を愛し赦す者とさせて頂きましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)