柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰によって生きる」ローマ1章16-17節

時々、カトリックプロテスタントはどう違うのですかと聞かれることがあります。それは今から500年ほど前に違いが起こりました。ドイツのマルチン・ルターが改革を行ったのです。


1,信仰義認

当時、贖宥状(しょくゆうじょう)―免罪符というものが売られていました。お金を払えば罪が赦されるというものです。それは大きな間違いでした。私たちの罪を赦すのはお金ではなく、キリストです。イエス・キリストが私たちの罪を負って十字架に死んで下さった、それによってすべての罪が赦されることが罪の赦しです。お金には罪を赦す力はありません。
ルターは、そのことを確信しました。信仰によって義人は生きる、このことをローマ1:17によってはっきりと確信したのです。そして、彼は95箇条の論題をカトリック教会に出して改革を行いました。その中で、信仰義認は大切なものです。信仰の根幹となります。
人の力で、神様に赦してもらうのではなく、イエス・キリストの十字架により贖罪されることを彼は立証しました。それは聖書のことばに基づくものであり、聖書の権威を彼は明らかにしました。
私たちの罪の赦しは、キリストにあり、そのキリストを信じることによって私たちは生きるのです。


2,福音の力

パウロはここに福音の力を語っています。福音には、すべての人にとって救いを得させる神の力であると言っています。救いは過去の罪を赦します。私たちは過去に失敗し、心の中に罪の傷を持っています。その傷は、時々現れることがあります。しかし、キリストの十字架はその古傷をも癒やし、まったく新しくしてくれます。どんな過去の傷をも罪をも十字架の血潮で洗い流し、清くし再生して下さるのです。
ルターもそのことを体験しました。彼もまた罪人でしたが、その罪がイエス・キリストの流された十字架によって赦されたことを確信したのです。
そして、福音には力があります。罪に勝たせる神の力です。私たちは弱いものです。誘惑に負けて、罪を犯しやすい者です。しかし、キリストの十字架はその弱い私たちを強くして下さいます。その誘惑を粉みじんに打ち破る力があります。神の力とありますが、その力はダイナマイトの力です。罪の誘惑も自分の弱さも吹き飛ばす力があるのです。
ですから、私たちの弱いとき、試みに遭うとき、そして罪を犯しそうになるとき十字架を思い起こすのです。義人は信仰によって生きることを思い出すのです。そうするなら、信仰によって、義と認められ、神の前に生き続けることが出来るのです。
そしてもう一つ大切なことは、天国で生きる確信が与えられることです。私たちは必ず死ぬことがあります。そして、神の前に立って裁かれなければなりません。全部平等です。同じです。しかし、信仰によって義と認めらた人は、神の子とされます。神様の持ち物を所有することが出来るのです。天国の相続者となることが出来るのです。
それが福音の力です。私たちを永遠の滅びから救い、忌まわしい過去からの解放、天国の希望、生きる力が与えられるのです。



       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)