柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「絶大な愛」エレミヤ31章3節

聖書のに「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」と出ています。愛ほど素晴らしいものはないと思います。 先日、結婚式に向かうカップルを見ました。思わずおめでとうと声をかけました。二人ともすごく幸せそうに見えました。しかしまた、ハッピーエンドで終わらない人生のドラマがあることも事実であると思います。キリスト教の結婚式が盛んですが式の中で?コリント3:4以下の言葉が読まれます。「愛は寛容であり、愛は親切です。…」
しかし、人間の愛には限りがあります。結婚しても、3組に1組は離婚だと言われています。人間の愛は完全ではありません。人間の愛は、価値依存の愛と言われます。きれいだから愛する、すてきだから愛する、でもきれいでなくなったらどうなのか、愛さない、すばらしくなくなったら愛も冷めてしまいます。人間の愛ははかないものです。また、変わりやすいものです。
しかし、神の愛はちがいます。神の愛は私たちの価値にはよらないのです。絶対的な愛です。変わらない愛です。イエス様は、放蕩息子の話をされました。身勝手でわがままな息子がお父さんから、財産をもらい、それを湯水のごとくに使い果たしてしまった。そして、その息子が帰ってきた時、駆け寄ってきたのは父親でした。そして、彼に最上の服を着せ、指輪をはめさせ、そして靴を履かせて、宴会をしたのです。「死んでいたものが生き返った」と大喜びしたのです。
それが、神の愛です。たとえ、落ちぶれて、一文無しになっても、何の価値のないものになっても、帰ってくるなら親は喜ぶのです。神様の喜びは何でしょうか。自分の息子が帰ってくることです。あの放蕩息子は、どん底の生活でわかりました。親の愛がわかったのです。神様の愛がわかったのです。ですから、彼は「お父さん。わたしは天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。あなたの子と呼ばれる資格はありません」と告白したのです。彼は赦されました。心にあった罪が赦されたのです。親を親とも思わない、神を神と崇めない、そんな不遜な心傲慢な心、愛のない心が赦されたのです。

神様の愛は変わりません。絶対的な愛なのです。

        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)