柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛され、信じ受ける」ヨハネ3章16節

今日はヨハネ3:16の御言葉を通して、神様と私たちの関係を見たいと思います。先日も、教会の前を通る小学生が「神は愛です」と教会の看板の聖句を自転車に乗りながら大きな声で言っていました。でも、その後で「わかれへん」と言っていました。多分わからないと思います。私も以前はわかりませんでした。そんなこと、意識もしませんでした。関係ないと思っていました。

 しかし、この3章16節にある御言葉は非常に大切です。ある人は聖書の富士山だと表現しました。頭一つ抜け出ています。それほどに素晴らしい言葉なのです。
 なぜなら、ここに神様は私たち人間を愛するとの約束があるからです。なぜ人間は神を信じる必要があるのか。それは、自分自身で存在できないからです。私たちは自分で生まれてきたのではありません。また、自分の力で赤ちゃんのときから生きてきたのでもないのです。

 生物の起源は神秘的なものです。まだだれも解明できていません。ある人は、宇宙が爆発して生命の誕生となった。ビッグバン説を唱えます。それではなぜビッグバンが起こったのか、説明出来る人はだれもいないのです。解らないのです。なぜ自分が生まれてきたのかその理由を知っている人もいないでしょう。非常に神秘的なものです。しかし聖書を読むとわかります。それは、天地創造の全能の神様が造られた。命を与えられた。そして生きる者となった。そのことが書いてあるのです。そしてその目的は何なのか。愛されるためです。

 「きみは愛されるために生まれた」というクリスチャンの作った歌があります。素晴らしい歌です。韓国の人が日本で自殺する人が多い、そのことを心に覚えて、きみは愛されるために生まれたと歌を作ったのだそうです。

 なぜ、自分は生まれてきたのか、それは愛されるためなんだ。そのことを是非、覚えて欲しいと思います。それを理解する鍵は、「そのひとり子をお与えになったほどに」という言葉にあります。ひとり子とはイエス・キリストです。それを私たちに与えられたのです。今年は何年ですか。2019年です。この年は何を基準にしているでしょうか。キリストが生まれた年を基準にしているのです。キリストが生まれる前と生まれた後が、私たちの歴史の基準となっているのです。それほどに、キリストの誕生は大きいものです。

 キリストの来られた目的は何でしょうか。それは私たちの罪過ちを赦すためです。アダムとエバは神様との約束を破り、罪を犯しました。でも一言も謝らなかったのです。その性質を私たちは受け継いでいます。悪いことをしてもお詫びしない。言い訳をする。そして人のせいにする。それが神様との関係を破り喜びのないものとなったのです。

 その状態を解決するために、罪の赦しのために、キリストは来られたのです。そして私たちの受けるべき裁き、それは死です。永遠の滅びです。その滅びから救われるために十字架に死んで償って下さったのです。

 それが神様の愛でした。罪の犠牲にするために、愛するひとり子を十字架につけるこれほどの大きな愛は他にはありません。

 神様の愛を受けとめるためには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。それは御子イエス・キリストを信じることです。

エス・キリストが自分の今まで犯してきた罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んで下さった。その十字架によって自分の罪は赦される。そのことを信じるのです。そうすれば、心の中にある罪そして過ちは赦されます。

 そして信じる者には永遠のいのちが与えられるのです。罪が赦されたら、平安が心に来ます。罪が赦されたら心に喜びがわき上がります。そして罪赦された人は、ほかの人を赦すことができるのです。それが永遠のいのちに与る人の姿なのです。

 私たちは神様の愛を受けて、イエス・キリストを信じ、永遠のいのちに与りましょう。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)