柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「生ける望み」Ⅰペテロ 1章3~5節

 コロナ感染は続いていますが、大阪では緊急事態宣言が解除され、少しは希望が持てるようになってきたかと思います。
 困難な状況にあっても希望が持てることは幸いです。この手紙は、小アジアに離散したクリスチャンたちを励ますためにペテロがローマから 送った 手紙 と言われています。
 彼自身も迫害の中にありましたが、彼自身が手紙に記しているように「神は…生ける望みを持たせて下さった」ことを証ししているのです。その生ける望みは何でしょうか。

1,神の大いなるあわれみ
 まず一つのことは、神様の大いなるあわれみです。そのあわれみとは、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことです。よみがえりとは、死者の中からの復活です。
 復活とは、死んだ者が新しい命をもって生きることです。キリストは十字架に架けられて死なれました。弱かったから十字架に架けられたのではありません。自らが喜んで、私たちのために命を捨てて下さったのです。それが神のあわれみでした。神の憐れみがなければ、私たち罪が赦されることも、私たちが新しく生まれることもなかったと思います。
 
 私たちが新しく生まれたのは何に よってわかるでしょうか。礼拝に出る、と言うことです。私たちは、かつては礼拝の意味はわかりませんでした。何の価値があるのか理解できませんでした。しかし、新しく生まれることにより、それはキリストの十字架によって自分の罪が赦される。
そして神様に愛されて、新しい命をいただいて生きることができる。そのこと
は 以前とはまったく違うことです。
 
 キリストに無関心であり、ある意味キリストに逆らって生きていた者がキリストを信じキリストに従って生きる。このことが、私たちが新たに生まれたことの証明となっているのです。
 神様は、こんな 私をも哀れんで生かして下さる。神の愛が、私たちの生ける望みです。

2,天の資産を受け継ぐ
 そして次は、天の資産を受け継ぐことです。この世の富はなくなります。取られたり、朽ち果てたりします。また死んで持って行くこともできません。イエス様はあなたの宝を天に蓄えなさいと言われました。この世に蓄えていてもむだになってしまうのです。天に宝を蓄えることは具体的には何か。献金をすることです。神様にお献げすることです。旧約時代には、動物の犠牲を献げました。しかし新約の時代になってから、献金をするようになったのです。貧しい やもめはレプタ2枚を献げました。 100~ 200 円です。それは彼女の全財産でした。 バルナバ は 畑を売って献げました(使徒 4:37) 。

それらはすべて神に献げられたものであり、天に宝を蓄えることです。彼らは神に喜
ばれ、「あなたがたのために天に蓄えられています」ということが成就するのです。

3,終わりの時の救い
 そしてもう一つは神の守り 、 救いです。この手紙が書かれたのは迫害の時代でした。おそらくペテロはこの世で小アジアにいるクリスチャンたちとは会えなかったでしょう。しかし生ける望みがあったのです。それは天国で会えると の望みです。彼はなぜ迫害に会いながら、迫害されているクリスチャンを励ますことができたのでしょうか。彼は、罪が赦されたからです。三度イエス様を知らないと言いました。復活のキリストにあったとき、三度「私を愛するか」と尋ねられました。
彼は「主よ、あなたがご存じです」と答えました。そして喜んで、殉教もいとわずイエス様の救い―罪のゆるしを伝えたのです。

 終わりの時の救いとは、何でしょうか。「もし、罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなして下さる方、義なるイエス・キリストがおられる」と言うことです( ヨハネ 2: 1) 。
 私たちは弱さのために、イエス様を裏切ることがあるかもしれません。しかし、ペテロを赦されたように、キリストは私たちを赦し、御父の前でとりなして下さるのです。それが終わりの時に用意されている救いであり、「生ける望み」であるのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)