柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰による救い」マルコ5章25~34節

 今、私たちの最大の関心事は、新型コロナ感染のことではないかと思います。罹らないように気をつけることが大事ですが、ウイルスは肉眼では見えません。いつどのように罹るかはわからないものです。今年になってからはワクチン接種のことが出てきて、少しは安心できるかもしれません。しかし、大切なのは健康であり、私たちのいのちです。
 一時、ヨード入りのうがい薬がコロナに効くとテレビで出ていて、 すぐに薬局に行きましたが、売り切れていました。あとで根拠のない話だと聞き、がっかりしましたが人間の心理はいつの時代でも同じだと思います。

 聖書に、12年間長血を患っていた女の人の話が出ていますが、なんとその人は薬ではなく、信仰によって癒やされたことが出ています。今の時代、難病があります。人間の力で癒やすことのできないものがあります。どこに私たちは、生きる望みを持つことができるでしょうか。癒やされることも大切ですが、生きる希望、さらには永遠のいのちを持つことも私たちの人生に必要なことであると思います。

1,キリストに触れる
 この女性は、大勢の群衆の中にあって、イエス様の衣に触りました。イエス様は自分のうちから力が出て行ったとあります。その力は、ダイナマイトと同じ語源です。不信仰を吹っ飛ばす程の力のあるものです。イエス様は、あるときは「悪霊よ、出て行け」と命じられて悪霊に苦しめられている者を救われました。この病に悩まされている人にもイエス様は同じ力を与えられて、癒やされたのです。不思議なことに大勢の人がイエス様に触っているのに、そのとき癒やされたのはこの女の人だけであったのです。いったいその違いは何だったでし ょうか。

 それは28節にでてくる「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思った。と言うことです。「救われる」とは不思議な言葉です。ただ単に病気が治るとの意味だけではありません。何から救われるのか。死の滅びから救われることです。究極の救いは、ただ病気が治ることだけではありません。根本的な、死の滅びから救われることです。いくら病が治ったからといって、永遠の滅びに行ってしまってはなんの意味もないのです。逆に、病に悩まされることがあったとしても、永遠の救い―天国に入ることができるなら、これほどの大きな喜びはな いだろうと思います。

 ですからこの女性は「私は救われる」と思って、後からそっとイエス様の衣に触れたのです。ところがすぐに、血の源が乾き、病気が癒やされたと感じたのです。すなわちイエス様の、それこそダイナマイトのような力が彼女の肉体にそして心に与えられて、不安や恐れが吹き飛ばされ、癒やされる力が与えられたのです。

2,信仰による救い
 イエス様はすぐに「だれが触ったのか」と弟子たちに尋ねられました。もちろん大勢の群衆ですからわかりません。しかし癒やされた女性は、イエス様の前に畏れおののきながらひれ伏して、真 実をありのままに語ったのです。

 なんとイエス様はそれを喜ばれました。そして「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われたのです。

 その救いとはもちろん、血の源が乾く、癒やされることであったのですが、更には3つのことがそれに加えられて与えられています。一つは、平和―平安、安心です。そして、健康が与えられる。更には、病苦からの解放です。もう、悩まない、苦しまない、健康であり平安である、安心できる病気にかからない。それがイエス様の言われている、信仰の救いなのです。私たちも信じるなら、このイエス様の救いに与 ることができます。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)