柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの力」使徒3章1-9節

先週はペンテコステ礼拝でした。イエス様を見捨てた弟子たちが集まり、祈る中に聖霊は臨まれて彼らは聖霊に満たされ、十字架を語り3000人の人が救われクリスチャンになりました。それは今日でも同じです。神様は私たちを愛して下さり滅びから救い天国に行けるようにして下さいます。


1,恵みを受けることができる

ここに一人の足なえの男が出て来ます。彼は生まれつき足が不自由で仕事もできませんでした。ただ人のお情けにすがって10円や20円頭を下げてもらい飢えをしのぐ、惨めな生活をしていました。
惨めなのは弟子たちも同じでした。彼らはイエス様を裏切り、隠れてエルサレムにいた。ところがイエス様は死の中から復活され彼らに現れ、そして、ペンテコステの時彼らは力を受けて大胆にキリストの十字架と復活、すなわち罪のゆるしを語ったのです。そのメッセージを聞いた人たちは心が刺され、悔い改めてイエス様を救い主として信じました。そして喜びの生活に導かれていったのです。
そしてここに出てくる、足なえの男も驚くべき恵みを体験するのです。それは彼だけではありません。どんな人でも人生は変えられて喜びに満たされることができるのです。
それは、今も同じです。キリストはどんな人でも救われます。救いの恵みを受けることができるのです。


2,弱くなりきる

どうしたら神の恵み、救いに預かることができるのか。それは自分が徹底して弱くなりきるということです。どん底まで落ちたら、後は上を見て生きるしかありません。まだ自分の力でやれる。自分は大丈夫だ、その心では自分が救われる滅びから助かるという恵みは頂くことはできません。足のなえた男、自分の力で一歩も進むことができない。もうどうすることもできないのです。物乞いするしか生きて行けない、これほど惨めな生活はないだろうと思います。
しかし、そこに神の恵みは注がれます。「神様わたしは今こんな状態ですけど、わたしには何の力もありません。助けて下さい」と祈るときに神様の力は表されます。


,信じて受け取る

この男は、何かもらえると思って、ふたりに目を注いだとあります。彼は絶対に何かもらえると本当に信じたのです。だからじっと見たのです。しっかり捕まえるというのが本来の意味です。必ず与えられる。そう信じたのです。そして与えられました。子どもの信仰も同じことがあります。素直に信じる。疑わない。ただ信じている。そして親は子に一生懸命喜んで、良いものを与えようとする。神様は子である私たちを愛して下さっておられます。たとえ自分の足で歩けないような者をも愛され、歩けるようにして下さるのです。



             (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)