今日は「花の日・子どもの日」です。元々はアメリカで始まりました。アメリカではこの季節、花がたくさん咲くそうです。ある教会で、子どもたちの訓練として花を集めそれを病気の人や悩んでいる人の所に持って行き、それが励ましとなったと言うことです。
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」とイエス様が言われたごとくに行うことは幸いです。そこに喜び感謝があるからです。
1,狭い門
そのイエス様は、なおも私たちに「狭い門からはいりなさい」と言われています。狭き門はよく聞くことばです。進学や就職でよく使われます。しかし、それは本来の意味とはちがいます。イエス様の言われた狭い門とは、この世のことではなく、むしろ天国、永遠のいのちを得るために入る門であると言うことです。
狭い門とは、人々が殺到するから門が狭くなるかというとそうではなく、むしろ見つかりにくい、人目につかないと言うことです。イエス様は救い主としてこの世に来られました。しかし、永遠のいのちを与える方とは誰も思わなかったのです。むしろ人々が求めたのは、癒やしであり、困難の解決でした。問題が解決したらそれで終りだったのです。十人のツァラアトの人が癒やされましたが、感謝したのは一人だけでした。辛いことがなくなってしまえば忘れてしまう。それが、この世のことです。
ですからイエス様は「いのちに至る門は小さく、それを見いだす者はまれです。」と言われたのです。
2,広い門
対照的に滅びに至る門は大きく、その道は広いそして、そこから入って行く者は多いとイエス様は言われました。特に今の時代は、にせ預言者、偽キリストが多く現れる時代です。気をつけなければなりません。
私たちが救われる唯一の方は、イエス・キリスト以外にはおられません。
3,救いの門救いの道
イエス様はヨハネ10:9で「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます」と言われました。しかし、このイエス様を信じることは容易ではありません。まさに狭い門なのです。如何にしてそれが解るのか、私たちの力ではありません。
しかし、感謝な事に今は聖霊が働かれる時代であると言われています。聖霊は私たちの心に働かれて、イエス・キリストが誰であるかを悟らせて下さるのです。それだけではありません。創造主なる方が、すべてを造り、生かしておられることが解ります。そして、あの十字架がわたしの罪を赦して下さるのだと言うことも解るようになるのです。
いわんや、信じて歩く信仰の道をも悟らせて下さいます。イザヤ30:21 「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。」とは御聖霊の声であり、主の道を示して下さるのです。そればかりか新しく生きることができます。
豚は洗ってもすぐ泥の中に入り汚くなるそうです。でも、羊は洗ってあげると泥をよけて通るそうです。
神様は私たちの心の性質さえも変えて、喜んで仕える者として下さるのです。
私たちは、神の御心を知り、そして喜ばれることをするならば幸いです。
(宣教者: 柏原教会牧師 西本耕一)