今日は、ペンテコステの日です。元々は大麦の収穫を祝うお祭りでしたが、この日にペ
テロたちイエス様の弟子たちは、立ち上がってイエス様の救いを世界中に告げ知らせたのです。
1,罪の赦し
まず、一番大切なのは罪が赦されることです。イエス様はこの世に来られ神の国を実現
されました。それは病んでいる人を癒やし、死人を生き返らせ、罪人を受け入れ福音を語り、天の御国の希望を与えられました。神の国とはこの世の国ではありません。信仰の世界であり、永遠のいのちによって生きる新たな現実の世界です。
ところが人間はそのことが理解できなません。ですからパリサイ人や律法学者、民の長
老たちは、ついにイエス様を十字架にかけて殺してしまったのです。その原因は人間の内にある、ねたみや憎しみ、罪と呼ばれるものでした。
しかし、罪を犯したのは彼らだけではなかったのです。ペテロはどうだったでしょうか。彼も最後の晩餐で、最後までついて行きますと誓いながら、三度も知らないと言ったのです。彼もイエス・キリストを裏切ったのです。
弟子たちは全く絶望状態の中にいましたが、そんな彼らの中に、復活のイエス様は現れ
ました。イースターの夜、彼らが閉じこもっている部屋の中に現れ「平安があるように」と弟子たちに言われたのです。その後イエス様は天に帰られましたが、弟子たちはイエス様の約束を信じて待ち望みました。それは、もう一人の助け主―御聖霊が来られることでした。
2,永遠のいのちの力
イエス様は十字架にかけて殺されましたが、父なる神様は御子イエスを死の中からよみ
がえらされたのです。それは復活の初穂となって、私たちにも死の中からよみがえることを約束されたゆえです。
そしてペテロはやっと解ったのです。それは復活の力―永遠のいのちが自分たちに与え
られていることを悟ったのです。それは御聖霊によるものです。御聖霊は真理の御霊です。私たちに聖書のことばを理解させて下さる方です。私たちは聖書を読むとき、御聖霊の助けを祈りつつ読む必要があります。
ペテロは漁師でした。聖書学者ではありません。しかし詩篇 16 編を引用して、イエス様の復活とダビデの信仰を証ししているのです。ダビデは今でも人気のある王様です。しかし彼は大変な苦しみを受けました。サウル王に仕えたときも彼は憎しみをかい、いのちが狙われました。それでも王を手にかけることも、泣きごとを言うこともなかったのです。なぜでしょうか。それは彼がいつも、主を前にして生きていたからです。主とはだれか、神すなわちキリストです。復活の主が右におられ支えて下さるので揺らぐことはない、と証ししています。
そして復活の主は、自分をも黄泉に捨て置かれず滅びに会わせられない。必ず救って下
さる、その確信がダビデの心にあったのです。それゆえに彼の心は喜び、希望に取り囲まれて生活しているのです。そして更には、イエス様は十字架に死んで罪を赦して下さり、閉じこもって苦しみ悩みの中に自分のところにも来て下さり、右にあって支えて下さる。それ故に私を喜びで満たして下さる。このことが、ペテロの信仰にもなったのです。それは私たちにも当てはまることです。この詩篇 16 編の希望と喜びが、私たちの心の中にも御聖霊によって現実のものとなり、ダビデのようにそしてペテロのように大胆に信仰によって生きる者とさせていただきましょう
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)