柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「命を与える主」ヨハネ3章16節

今日のみことばは、聖書の中でも最も有名なみことばと言われているとことです。
マルチン・ルターはたとえ聖書のことばがなくなっても、この聖句一つあればキリスト教は成り立つと言ったそうです。それほどに、このみことばは聖書の真理を要約していると言えるでしょう。


1,創造の主

神は「この世を愛された」とありますが、聖書に出てくる神様とはどんな方なのでしょうか。八百万の神の一つでしょうか。そうではありません。「初めに、神が天と地を創造した」とあるように、創造の神「天地の創り主」であると言うことです。
神は大きく二つに分けられると言われています。一つは、「人間が作った神」です。それは、偶像です。人間が作ったものは人間以上になれるでしょうか。なれないのです。偶像はわたしたちを救う力はありません。
しかし、聖書の神は「天と地を創造した」とあります。聖書の神は人間が作った神ではなく、「人間を造った神」なのです。天地万物を造られた神は、人間をも造られました。わたしたちを愛の対象として愛すべきものとして造られたのです。
ですから、わたしたちは自分勝手に生まれてきてそして、死んでいくのではなく、神によって愛されて生きるために造られたのです。


2,愛される主

天地の造り主は、この世、つまりわたしたち一人一人を愛されておられます。どれほど愛されているのか、それは「ひとり子をお与えになったほどに」です。たった一人しかいない子をわたしたちに与える、それはおそらく親でなければわからないことだと思います。
八人子どもがあった奥さんに、親戚の人が一人譲ってほしいと言われました。しかしその奥さんは「どれも私がおなかを痛めて産んだ子です。あげるわけにはいきません。」と断ったそうです。それほど、子どもは親にとってなくてはならない大切な存在です。そんな、ひとり子を与えるほどに天の父はわたしたちを愛しておられると言うことです。
なおさら、父なる神様はそのひとり子を犠牲にしてまでも、わたしたちを愛して下さる方なのです。


3,命を与える主

そして、その御子によって命が与えられます。キリストの死は十字架の死でした。なぜ十字架に死なれたのか。それはわたしたちの罪を十字架によって許すためであったのです。イエス・キリストは罪を赦すために、わたしたちの身代わりとなって十字架で死んで下さったのです。罪の代価は大きなものです。わたしたちは死を持って罪を償わなければならないのです。そのわたしたちに代わってキリストは死んで下さいました。罪の代価を自分の命を持って支払って下さったのです。
そのキリストを信じるなら、十字架で自分の罪の代価は支払われたと信じるなら、赦されるのです。そして、キリストはわたしたちに永遠のいのちを与えて下さるのです。
永遠のいのちを与えられたものはみな、天国で生きることができるのです。

         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)