柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「みことばによる育成」使徒20章28-32節

クリスマスの時期を迎えました。あちこちでクリスマスの催し物を行っていますが、私たちの心にもイエス・キリストをお迎えできれば、さらに楽しいクリスマスとなります。


1,神の教会

28節に「神の教会」ということばが出てきます。聖書に出てくる教会は、建物のことではなく、むしろ信仰によって集まった人たちのことを指します。ここに出てくる教会は、エペソでパウロが伝道し、救われた人々のことを言っています。当時はまだ、教会堂はありませんでした。おそらくは、ユダヤ人の会堂かまた比較的豊かな人の家で集会が行われていたでしょう。しかし、集まった人たちは群れとなり、集団で行動していたのです。それはまさに、28節の最初に出てくる「群れ」であるのです。羊の群れと同じです。弱い者の集まりです。しかし、神様はそのような弱い群れをも守って下さるのです。
なぜなら、教会は、神がご自身の血をもって買い取られた「神の教会」だからです。私たちの集まっているただ一つの理由は何でしょうか。それは、イエス・キリストの十字架によって救われたと言うことです。
救いとは何でしょうか。病が癒やされたり、家庭が円満になることでしょうか。それは、二次的なものです。添えて与えられる副産物です。救い中心は、罪の赦しです。永遠の滅びからの救いです。たとえ、病が癒やされたり、家庭が円満になったとしても、永遠の滅びに行ってしまっては何の意味もないのです。私たちに必要なのは、永遠の滅びからの救いであり、罪が赦されると言うことです。
そのために、イエス・キリストはこの地上に来られたのです。多くの人は、楽しみのためのクリスマスしか知りません。しかし、教会では、罪の赦し永遠の滅びからの救いのクリスマスを体験できるのです。
ですから、教会は一言で言うなら、罪を赦された人たちの集まり、イエス・キリストのいのちをもって償われ、赦されてイエス・キリストによって集められた群れなのです。それが私たちの柏原教会の本質的な姿です。それ以外にはありません。ですから、私たちの教会は「神ご自身の教会」なのです。


2,みことばによる育成

そしてそのことは何によるのかと言えば、みことばです。神のみことばによって、保証されるのです。聖書のことばは、単なる本の言葉ではありません。ヨハネによると、それは「神」であることがわかります(ヨハネ1:1)。そしてそれはイエス・キリストご自身です。私たちはこの活ける神のみことばによって、私たちのたましい、心が養われるのです。みことばには力があります。
それは、御国を継がせる力です。イエス・キリストを信じるなら、私たちは天国を受け継ぐことができるのです。そして、それだけではありません。みことばは私たちを成長させます。私たちの心を強め、どんな敵に対しても対応する力を与えて下さいます。なぜなら、神の教会は2000年の間さまざまな困難苦難や試練を受けてきましたが、神の教会は廃れなかったのです。悪に打ち勝ってきました。それは、あのペテロにイエス様は約束されたのです。「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)と約束されたからです。神のみことばには私たちを養い育て、悪に打ち勝つ力を神様は与えて下さっておられるのです。
ですから、パウロはエペソの教会を「神とその恵みのみことばにゆだね」さらに伝道に励んでいくことができたのです。ですから、私たちもまず私たちの教会はイエス・キリストの十時の血潮によって贖い取られた神のものであることを自覚し、そして私たち自身も「神とみことばにゆだねられている」そのことを信じて、神のみことばによって豊かなもの、さまざまな悪に打ち勝つものとさせて頂きましょう。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)