柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「十字架の愛と義」2コリント5章21節

教会でよく聞く言葉があります。おそらく一番多い言葉は「愛」ではないでしょうか。愛とか喜び、平安は耳にも心地よい言葉でいつ聞いてもうれしいと思います。
しかし、その反対によく耳にすることばもあります。それは「罪」です。耳にも心地よくありませんし、心にもよくない言葉であると思います。キリスト教の救いとは何か。一言で言うなら「罪の解決」であると言えます。


1,罪―的外れ

罪とは何かというと、犯罪のことではありません。一言で言うなら、的外れです。それはアダム・エバから始まりました。神様の言うことを聞かない、約束を破る、そこから罪が始まったのです。裸であることを恥じて、そして神様から身を隠す。そこには、恐れと不安がありました。罪の支払う報酬は死である、と聖書は言っていますが、まさに罪の行き着く先は滅びであると言うことです。
これくらいのこと、こんなものはみんなやっている、だれも知らないからと罪を犯していくなら大変な結末となるのです。罪を侮ってはいけないのです。


2,罪を救って下さる方

私たちは自分の力で罪を解決できるでしょうか。答えは出来ません。だれも罪から自分を救えるものはいないのです。聖書ははっきりと「すべての人は罪を犯した」と言っています。嘘をついたり、ごまかしたり、盗ったり、果ては恨んだり憎んだり、人を傷つけたり、多くの罪を私たちは犯してきているのです。だれが、私たちを罪の洪水の中から救い出してくれるのでしょうか。
それは、イエス・キリストです。イエスは神ご自身ですが、私たちを救うために人となられました。私たちと同じように、痛みも苦しみも、悲しみも知って下さる方です。しかし、ただ一つ、罪は犯されませんでした。それが私たちと根本的にちがうのです。まったく罪を犯されない、しかも無限の愛をもって私たちを愛して下さる。その方が、私たちのところに来て下さったのです。それが、キリストの誕生―クリスマスの喜びであり、イースター―復活の希望が私たち与えられているのです。


3,罪の赦し―神の義

そのキリストは、私たちの身代わりとなって、罪の裁きを受けて下さいました。それが十字架なのです。十字架は、私たちが受けるべき罪の裁きをキリストが代わりに受けて死んで下さったというしるしなのです。十字架に神の愛が現されているのです。そして、私たちはキリストの十字架のゆえに、正しいとされるのです。イエス・キリストの罪の赦しを信じましょう。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)