柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主が必要とされる」マルコ11章1-10節

今日から受難週に入ります。イエス様が私たちを罪の滅びから救うために、この世に来られ、十字架に死なれました。そのことを覚える大切なときですが、神様は私たちに救いの希望を与えて下さいます。


1,救いの計画

エス様は、ろばの子の背中に乗ってエルサレムに入場されました。これは単なる思いつきでもなければ、偶然のことではありませんでした。イエス様は神ご自身です。人間となられた神です。すべての事を見通しておられました。向こうの村のろばのことも、そして、これから起こる十字架の出来事もすべてをご存じでした。
神様は、信じて従う者に、信仰の恵みと回復を約束されていました。500年以上も前に、ゼカリヤという預言者を神様が用いられ、救い主が来られることを語られました。彼は、バビロン捕囚以降の預言者ですが、ハガイと共にイスラエルの人々を励まし神殿の再建に尽力した人です。その預言者ゼカリヤが「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(ゼカリヤ9:9)とはっきり語ったのです。
その預言がイエス・キリストエルサレム入場によって、実現したのです。


2,救いの勝利

今日は、パームサンデー棕櫚の日とも呼ばれます。なぜなら、イエス様がエルサレムに入場されたとき、大勢の人たちが、出てきて大歓迎をしたからです。これはちょうど、ローマの将軍が、敵を打ち破りローマに凱旋したときのことを思い描かせるものです。しかし、将軍とは同じではありませんでした。将軍は馬か戦車にのって凱旋しましたが、イエス様はろばでした。なぜなら、平和の君だからです。平和の王として、入場されたのです。人々は、敬意を払って砂埃の舞う沿道に、自分の上着や、木の葉の枝、おそらくはこれが棕櫚の木の枝であったと思われますが、道に敷いて歓迎したのです。そして彼らは、ホサナ―王様バンザイと叫んで迎え入れました。ホサナには、勝利という意味と、救って下さいと言う意味があります。彼らは、無意識にそれを叫び、イエス様を歓迎したのです。


3,主が必要とされる

もし、このときイエス様がろばの子の背中に乗ってこられなかったら、どうだったでしょうか。預言は成就しなかったのです。預言が成就するためには、ろばの子も必要とされるのです。しかも、2節を見ると、「だれも乗ったことのない、ろばの子」とあります。経験もありません。力もありません。しかし、イエス様は、そのようなものを用いられる方です。必要なものは立派な馬や戦車ではないのです。主はあえて、力のない者、また小さな取るに足らないものを用いられるのです。
そしてただ一言、「主がお入り用なのです」との一言により、綱から解き放たれ、キリストをお乗せして用いられるのです。私たちも、子ろばのように力も経験もありません。しかし、「主がお入り用なのです」とのおことばに従って、用いて頂きましょう。主の勝利と栄光に共に預からせていただきましょう。

(宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)