柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「赦される喜び」1ヨハネ1章7節

私たちの心には、信じるという心があります。「鰯の頭も信心から」ということわざがありますが、素晴らしいものが与えられます。この世では、御利益宗教と呼ばれるものがあります。信じると、病気が治る、またお金が儲かる、家庭が円満になるなどいろいろとあります。キリスト教ではどんな良いことがあるでしょうか。
キリスト教では、御利益とは言わずに、神様の祝福と言っていますが、もちろん、病気の癒やしや仕事や家庭が良くなることもあります。しかし、それらのものは付録的なもので、もっと素晴らしいものが与えられます。
それは、罪が赦され、新しくなり永遠のいのちが与えられることです。それが、本質的な御利益です。なぜなら、いのちを失ってしまえば、身体の健康も、仕事も家庭もまったく意味がなくなるからです。いのちを失ったら、何の得もないのです。 イエス・キリストは、私たちに永遠に生きるいのち、たましいのいのちを与えて下さいます。しかし、それは、行いによって与えられるのではなく、信仰によって、信じることによって与えられるのです。これはキリスト教で「救い」と言っていますが、ただ苦しみから逃れる一時的なものではなく、永遠の滅びからの救いです。
そして、永遠のいのちが与えられるために、知らなければならない重要なことがあります。それは、「罪」ということです。罪といってもこの世での、犯罪の「罪」ではありません。むしろ神様に対する罪です。神を神として敬わない、また神様が願っておられることを行わない、そうしたことを聖書では罪といっています。ですから、神ならぬものを神として拝むことを神様は一番悲しまれます。もし、家庭でも夫が妻を愛さなくて他の女性を愛するなら家庭は崩壊します。そのことを罪だと聖書は言っているのです。
的外れの罪から、踏み外す罪があります。神様から離れると、木から離れた果物が最初はみずみずしいですけど、やがて朽ちて腐っていくのと同じです。人は神から離れると、罪を犯しやすい者となるのです。「殺してはならない」と十戒にありますが、毎日のように殺人事件は起こっています。人に対する、ねたみや腹立たしさ、怒りがやがて殺人へと発展していくのです。 しかも、殺人罪までとは行かなくても、心の中で憎みのろい、心の中で人を殺していることもあるのではないでしょうか。罪は恐ろしいものです。やがてそれを私たちは刈り取らなければならないのです。
イエス・キリストは、私たちのすべての罪を身に負い、十字架の上で死んで下さいました。それによって、私たちの罪は赦され、神の子どもとして新たに生きる者となりました。神様から多くの幸いを頂き、そして天国には入れるのです。これ以上に素晴らしいことがあるでしょうか。父なる神様は、罪赦される喜びをみんなに与えられたのです。


(宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)