柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の和解」ローマ5章10-11節

キリスト教の救いとは、今読んでいただいた文脈でいうなら、「神との和解」です。神様との和解によって、永遠の滅びから救われ、救って下さる神様を大いに喜ぶことがキリスト教の救いである、と言えます。もし救われることができるなら、あなたの心にも神様は大いなる喜びを与えられるのです。


1,私たちは神の敵であった

救われるためにまず知らなければならないことは、私たちは神の敵であった、ということです。すなわち、神を信じない、そして、その神様に従わないことです。それが、神の敵であるという大きな証拠です。
ですから今、礼拝に出て来ている、神様を賛美して、神のことばを聞いて喜んでいる、ということはすなわち救いにあずかる者とされていると言うことです。
さらには、私たちは、神のことば聖書によって、救われていることの確信を与えて頂きたいと思います。
その確信が与えられるためには、一つの自覚が必要です。それは、罪の自覚ということです。神にそむいている、神から離れている、そのことが罪として自覚されなければ、救われようはありません。


2,キリストのいのち

ラジオ牧師をされていた羽鳥純二先生は東大を出て、共産主義に向かって行きましたが、その生活は惨めで空しいものだったとお聞きしました。しかし、お兄さんを通して、キリストの愛を知り、人生が変えられていったのです。
私も直接お話を聞く機会が与えられ、印象に残っています。羽鳥先生は、共産主義が悪いからクリスチャンになったのではない。自分が悪い人間であることがわかったから、クリスチャンになったんだと語られたのです。聖書では罪人といっています。私たちは罪を犯したから神の栄光を受けられなくなっていると聖書にあります。太陽に背を向けていると光を見ることはありません。むしろ、暗さしかわからないのです。
神様に背を向けるなら、神様の栄光が与えられていても明るさを見ることも感じることもないのです。
しかし、向きを変えるなら神様の栄光を見ることができるのです。その明るさの中で生活できるのです。
向きを変えることを、悔い改めといっています。私たちはまず、自分の心が暗い、罪が私の心を暗くしているということを認めなければなりません。そして、その罪を取りのぞかなければならないのです。罪に自分の心がとりつかれてはいけないのです。
私たちの罪を心から取りのぞくのは何でしょうか。キリストのいのちです。
私たちの罪を取りのぞくのは、十字架です。体で悪いところがあるなら、手術して取りのぞきます。私たちの心に罪があるなら、十字架によって罪を取りのぞくことができます。十字架には力があります。罪を取りのぞいて、滅びから救う力があるのです。そして、その後にキリストのいのちが与えられるのです。罪を取りのぞかれた後に、キリストのいのちが与えられる、それによって私たちは生まれ変わることができるのです。


3,神を大いに喜ぶ

生まれ変わることは、何でしょうか。神を喜ぶことです。パウロは罪が赦されて、神を大いに喜ぶものとされました。
そして、人にも影響を与える者に変えられます。パウロは迫害者からキリストの伝道者に変えられました。どんなに苦しめられても、キリストの救いを宣べ伝えずにはおられませんでした。イエス様の弟子であったヨハネは雷の子とあだ名されましたが、キリストの愛を語り、ペテロは裏切って逃げましたがキリストの罪の赦しを命がけで証しする人に変えられたのです。私たちにもそのような救いの大いなる喜びを、神様から与えて頂きましょう。



   (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)