柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「罪からの救い」ヨハネ1章29節

今日、私たちは教会に集まっています。神様を礼拝するためです。しかし真の神様は私たちの肉眼では見えないのです。私が神学生の時、神戸の教会で奉仕をしていたとき、一人のご婦人がご本尊を拝ませて欲しいと言われました。講壇の後はカーテンになっていて、そこにご本尊がいると思われたのです。仕方なく開いて見せましたが、そこはコンクリートの壁でした。私たちが礼拝するのは父・御子・聖霊の創造主なる神様です。人間が作った神ではなく、人間を造られた神様です。しかも、造りっぱなしではありません。私たちを愛して下さり、いのちを与えて 下さる方です。
 その愛の表れが「世の罪を取り除く神の子羊」という言葉に表されています。世の罪とは何でしょうか。この世の犯罪でしょうか。そうではありません。むしろそれは、真の神を知らない、無関心。神など必要ないという生き方です。神様は愛を持ってすべての物そして人間を造られました。しかし、神などいない、必要ないという生き方は、ある意味自己本位、または自分中心の生き方ではないかと思います。7月から、レジ袋の有料化が始まります。これも地球環境問題から来ています。何気ない小さなことが、自然環境を破壊しやがて自分にまた 将来に大きな影響を及ぼすものとなります。
 罪ということも、最初は小さな問題です。これくらいのことたいしたことはない、だれでもやっている、それがいのち取りになってしまうのです。私たちもこれくらいのことと思っているのが、身の破滅になってしまうのです。
 もしも心の中で、罪は悪いことだ。そんな事をしたら、大変なことになると止めさせる者があるなら、破滅の道から救われることになるのです。
私たちには、良心があります。ことの善悪はわかります。ところが人間の良心は、その悪を防ぐことができないのです。誘惑に負けてしまうのです 。最初の人間アダムとエバも誘惑に負けました。神に敵対しているサタンはヘビに化け、アダムとエバに近づき、取って食べてはならない木の実がさらに美味しそうに話し、取って食べれば神のようになれると誘ったのです。その結果は、神から身をかくし祝福が受けられない者となったのです。悪いことをすれば、言い訳し、そして人のせいにしてしまう。人間は悪循環の中に落ち込んでしまったのです。
 それでは、だれがその悪循環を断ち切って、主なる神様のもとに連れてくることができるでしょうか。それが、イエス・キリストです。神の御子であり、しかも 私たちが犯した罪の過ちを取り除いて下さる神の子羊である、と聖書は言っています。
私たちの罪を指摘し訴える人はいても、自分の犯した罪を引き受けて、弁償してくれる人はい私たちの罪を指摘し訴える人はいても、自分の犯した罪を引き受けて、弁償してくれる人はいるでしょうか。一人だけおられます。イエス・キリストです。キリストは私たちの罪を十字架で背負い、代価を支払って赦して下さるのです。それが私たちに与えられる救いです。

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」 (ローマ 6:23) 神様に愛される、新しいいのちに生きることができるのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)