柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の訓練」詩篇119篇65-72節

今日は父の日です。父の日も教会から始まりました。男手一つで子どもたちを育て成人させた後、天に召されたお父さんを記念して、特別の礼拝を捧げたのが始まりと言われています。

この詩篇の記者は神様に感謝を献げています。クリスチャンの生涯とはまさに、神様に感謝を献げる生涯であると思います。たとえそれが、苦しみに遭うことでさえも感謝であると言っています。それはなぜでしょうか。

1,祝福を与えられる

第一のことは、神様の祝福です。それは、語られる通りに神様は良いことをして下さるということです。信仰の父と呼ばれるアブラハムはどうだったでしょうか。彼は、祝福の基となると言われました。そして、その通りに、彼は周りの人たちに祝福を与える人でした。
甥のロトが捕らえられたときも、彼はしもべたちを連れて救出にあたり、彼を助け出しました。そして彼は何の顧みも求めませんでした。なぜなら、神が共におられて彼を豊に祝福されたからです。
ですから、私たちがこの真の神様を信じるなら、神様は私たちに豊かな祝福を与えて下さいます。物質的にもそして霊的にも祝福を与えられます。大事なことは、霊的な祝福を受けることです。そのために必要なことは、識別能力と霊的な知恵です。この詩篇の記者はそのことを求めました。そしてそのことが解ったのです。
なぜなら、彼は「あやまち」について語っています。私たちは、自分の過ちや間違いを素直には認めることが難しいと思います。しかし、神様を信じるならその過ちがわかり、素直に認め、改めることができるようになるのです。一言で言うなら、悔い改めです。クリスチャンになれば、悔い改めることができる。罪がわかり、罪を悲しみ、罪に背を向けて罪から離れることができるのです。詩篇の記者は、その分別と知識を教えて下さいと求めました。そして、彼は得ることができたのです。
高ぶる者たちのことが69節に出ていますが、この世とは自己顕示欲の強い所です。自分の存在感を失うようなことがあります。しかし、私たちは虚勢を張る必要がありません。なぜなら、真の神様は私たちを悪から救い、私たちの心に慈しみを与えて下さるからです。私たちを慰め励まして下さいます。その思いが私たちの心深くに与えられ、私たちは悪に対して勝利していくことができるのです。


2,おきてを学ぶ

詩篇の記者は、71節で、「おきて」を学びましたと言っています。その「おきて」とは、何でしょうか。神のおきての代表的な者は、十戒です。十戒を要約するなら、神を愛し、人を愛することです。簡単ですが、実行することは難しいと思います。自分の好きな人や、気に入る人は愛せますが、嫌いな人や嫌な人は愛せません。しかし、イエス様はどうされたでしょうか。
あの十字架の上で、敵を愛されたのです。自分を十字架につけた人たちのために、赦して下さいと祈られたのです。その十字架によって私たちは赦されたのです。魂が救われたのです。ですから、この詩篇の記者は、私はあやまちを犯しました、と告白し、あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます、と言っています。彼は罪が赦され、その魂は回復し、喜びに満たされたのです。それがイエス様の愛です。私たちにもその愛は注がれているのです。
苦しみに遭うときに、私たちは十字架を仰ぎます。その十字架により、まず私たちの心はゆるされ、十字架の血潮によってきよめられます。そして、その心にキリストの愛が満たされるのです。御聖霊によって私たちは愛が満たされ、愛によって生きる者となることができるのです。
キリストは私たちが互いに愛し合うことを願っておられます。その戒めを最後の晩餐の時に与えられました。私たちはそのおきてを忘れることなく、御聖霊によって行うものとさせていただきましょう。



             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)