柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「荒野に道を」イザヤ書43章18-19節、ヨハネの福音書14章6節

 イスラエルの歴史を振り返ってみると、それは「荒野との対決」でした。荒野がどんなに彼らの前途をさえぎってきたか知れませんし、そこで迷い、苦悩し続けてきました。
 荒野に道が設けられるということは、どういうことでしょうか。


1.新しいことの始まりである  イザヤ43章19節
 『見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている』との出来事は、「出エジプト」に勝るとも劣らない「バビロン捕囚からの解放」という神の大いなる救いのみわざを語っています。それは、過去のことに捕らわれない、人間の思いや願いをはるかに越えた「新しさ」です(18節)。しかも、人間のうちからでもなく、自然界からでもなく、主なる神が成してくださる「新しさ」です。
 このことは、今日の私たち一人ひとりに、家庭に、教会にこれまで成してくださった神のみわざに対しても、そのみわざを限定してはならないことを語っています。
 また、人間の性質・人格が新しく造り変えられることにおいても同じことが言えます。確かに、人間の性質・人格形成は、親から受け継いだ生まれつきのもの、育った環境や周囲からの影響によって作られます。また、自分の努力によって形成されていくこともあります。しかし、根本的には、イエス・キリストによってのみ造り変えられることが、全ての人に必要なことなのです(?コリント5章17節)。


2.キリストを通してのみ開かれている  ヨハネ14章6節
 こうした荒野に唯一の道となってくださるのは、『わたしは道であり』と言われるイエス・キリストです。このお方は、私たちの過去・現在・将来に救いの道を開いてくださいます。
 私たちの過去からの解放の道となってくださいます。イエス・キリストの十字架の血潮によってのみ、全て過去の罪から私たちを解放してくださるのです。十字架のゆえに、神は忘れてくださるのです(25節)。
 私たちの今現在生きる力となってくださいます。十字架に死んで復活され、今私たちと共に生きてくださるゆえに、生きる力・罪と誘惑に打ち勝つ力となってくださるのです。
 そして、死の向こうにまで通用する希望となってくださいます。『わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』と、私たちの方からではなく、神の方からその道を開いてくださいました。
 『わたしが道であり』と宣言された主イエスは、「あなたは、とこから、どこへ行くのか」との問いかけておられます。しかしその前に、人類の最初の人アダムとエバが神のみことばに背いた後、神を避けて身を隠した時、神が「あなたは何をしたのか」とその行為をとがめられたのではなく、「あなたは、どこにいるか」とその在り方を尋ねられたことは、今日の私たち一人ひとりに問いかけられていることです。

                  (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)