柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「我を忘れて」 イザヤ書43章25節、49章15-16節

 『あわれまないだろうか』(49章15節)とありますが、旧約聖書の中で「あわれむ」という語は、「我を忘れてしまう」という語から派生しました。不届きな女性もいますが、普通母親はわが子を抱き、慈しみます。それ以上に、神は、我を忘れてご自身の民をあわれみ、愛していてくださいます。


1.あなたを忘れない神  49章15〜16節
 私たち人間は、何と忘れやすいものでしょうか。「忘れる」という字は、「亡びる」という字に「心」と書きますが、心を亡ぼす、心ここにあらず、心を失うということでしょう。
 何か物を忘れても後で見つかることもあるし、恩を忘れることがあったりしても、いのちに関わることではない場合が多いようです。ただ、これだけは忘れないようにしてほしいと、聖書は宣告します。あなたを愛しておられる神であるイエス・キリストを忘れないでほしいということです。
 それでも、このお方を忘れてしまっている私たちですが、創造主にして全てを支配され、全知全能の神は、私たちを忘れることのないお方です。放蕩息子の譬え話にあるように(ルカ15章11〜24節)、深い愛の神を忘れ、やりたい放題の罪の中を歩む者に対して、神は忘れることなく、ご自身にたち帰るのを待っておられます。『・・・罪を犯し・・・罪を犯しました・・・』と告白するのが終わらないうちに、最上の出迎えをされます。


2.あなたの罪を忘れる神  43章25節
 愛の神は公平なお方です。しかし、ただ一つの点において、神は不公平なお方と言えましょう。放蕩息子の兄と同じ思いを持つときです(ルカ15章25〜32節)。父なる神は、『死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから』の一点を見られ、評価されるお方です。
 神は私たち一人ひとりを愛すれば愛するほど、私たちの裏切りや背きの罪に対して、どんなに深くその心に突き刺さり、心を傷つけることでしょう。しかし、愛の神はそれを忘れてくださって、『わたし、このわたしは、わたし自身のために』と、神ご自身が全く恵みをもって、『あなたのそむきの罪をぬぐい去り』と罪を赦し、『もうあなたの罪を思い出さない』と罪を忘れ切ってくださったのです。神が罪を赦してくださっても、それを忘れ切ってくださらないなら、天国もいずらい場所になります。
 私たち一人ひとりが罪を悔い改め、その罪をイエス・キリストの十字架の血潮の中に投げ出すときに、全く罪を忘れ切ってくださるとは、何という大きな愛であり、あわれみでしょう。「我を忘れて」死んでくださったイエス・キリストの愛に、「あなたは」どう応答されますか。

                  (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)