柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「人間の最大の価値」  マルコによる福音書9章42〜50節

 柔和で心の優しいお方、決して忘れることはないと招かれる主イエスが、ここに至っては永遠の苦悩を語っておられます。しかし、ここで主イエスが語っておられる眼目は、神の恵みの支配に入り、神の恵みの支配に生きることが、人間の最大の価値であり、それを失うことが人間の最大の損失であるということです。


Ⅰ.神の国に入る  42〜48節

 まず、神が選ばれたにもかかわらず、無きに等しいと思われている人をつまずかせ、神の恵みの支配の中に入れなくすることが大きな罪であることを戒められています(42節)。大きい者であれ、小さい者であれ、キリストのものとされた一人ひとりが大切にされるのが、神の国なのです。
 他者をつまずかせる罪も重いが、自らをつまづかせることも深刻です(43〜48節)。そもそも、自分の意志とは別の、手や足や目がつまづかせるということはあり得ないので、ここで主イエスがおっしゃりたいことは、私たちにとってそれがどんなに大切なものであっても、神の国に入り、神と交わるという永遠の命に入ることのつまずきとなる場合は、思い切って捨てなさいと戒められたのです。ここに、神の国に入ることが、どれだけ真剣なことかが分かります。
 『地獄』と聞けば、天国地獄といった死後のこととして考えがちです。この語の本来の言葉が「ゲヘナ」とあるように、神の恵みの支配ではなく、滅びが支配するところである、ということです。主イエスが十字架で救いのみわざをなされたのは、滅びから神の恵みに入れるためでありました(ヨハネ3章16節)。その身代わりとして、神の御子が捨てられ、滅びを経験してくださったのでした(マルコ15章34節)。
 この主イエスの十字架の愛と恵みを分からせなくするものは、神から託されたものであったとしても、それを捨てますというのが、悔い改めて信じるということなのです。


Ⅱ.神の国に生きる  49〜50節

 塩の効力は,他の物といっしょになってその効果が発揮され、防腐となり味つけとなることです。そのように、神の国に生きる者は、『地の塩』として(マタイ5章13節)、この世の防腐剤となり、この世に浸透して塩味(感化)を与える存在となるのです。それは、『火』(試練)に試されて効果あるものとなるのです。
 また、『自分の内に塩を持』つことと、『互いに和ら』ぐこととが結びつけられています。これは、真の平和な人間関係は、無節操な妥協によって生まれるものではなく、キリストに従うことを貫く中から生まれてくるのです。
 だれが一番偉いかと論争しているところに、この和らぎはありません(9章33〜35節)。そうした争う心を捨てることができるように生きるところに、神の国に生きる、平和に生きる姿があるのです。

 神の恵みが移植されるような、塩味のある聖徒の群であれ!


                    (説教者:柏原教会牧師   川原崎 晃)