柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛は打算をこえて」 マルコの福音書14章3-9節

 主イエスが間もなく十字架にお架かりくださるとき、『ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油』一年分の生活費に相当するほどの香油を、その壷を割って全部『イエスの頭に注』ぎました。それは、この女性の全存在が主イエスに注がれているのであり、彼女の真実な愛の行為をお誉めになられたのでした。


1.美しい愛であるから 6節
 『りっぱなことをしてくれたのです』とは、美しいことをしてくれた、自分を忘れるほどの信仰による愛の行為をしてくれた、という意味です。主イエスに対するこの愛の美しい行為は、この時をおいてほかにはありませんでした。この女は、この機会を見抜いて、喜んで主イエスに愛を注いだのです。第三者から見れば、『むだ』のように見えても、主イエスと彼女にとっては、最も価値あることだったのです。
 ところで、神が最も価値あることとされるのは、神の愛と神の恵みを、私たち一人ひとりが受け入れ、そこに堅く立つことです。その恵みゆえに、一筋に愛の応答をする者の心と存在は美しい、と主イエスは評価されるのです。


2.洞察する愛であるから 8節
 『この女は、自分にできることをしたのです』とは、神が期待される最高ののことをしたのです。これまで、主イエスの十字架の死に関わる発言は何回かされたが、弟子たちの心に届きませんでした。しかし、この女は、主イエスの死が間近であることを洞察したゆえに、死体を葬るために用いた香油を注いだのです。しばしば愛は、理性よりも優れた理解をさせるものです。
 ところで、そんな愛の行為を『むだ』と言うのなら、十字架上でご自身の血を注ぎ出してくださった神の愛の行為を、私たちは何と言えばよいのでしょうか。十字架に現された神の愛こそ、愚かとしか言いようがないほどに、計算を越えた無償の愛であり、私たちの救いは、この愛による以外にないのです。
 神のために成されたことだけが、永遠に残るのです(9節)。

                (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)