柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「恵みを総動員して」 使徒の働き11章19-30節

 「クリスチャン」と最初に呼ばれたのは、アンテオケ教会においてでした。それは、キリストと一つに結び合わされている人、明けとも暮れてもキリスト一辺倒に生きている人々のあだ名でした。私たちも、この呼び方に恥じない生き方をしたいものです。
 そんなアンテオケ教会に起こった出来事に、バルナバは『神の恵みを見て喜び』(23節)ました。その喜びは、どこに見出すことができるのでしょうか。


1.恵みを受け続ける喜び 19〜26節
 初代教会はエルサレム教会から始まりましたが、ステパノが殉教した迫害をきっかけにして大迫害となり、各地に散らされて行きました(8章1〜2節)。使徒たちはエルサレムに残りましたが、ステパノのようにギリシャ語を使うユダヤ人クリスチャンが、散らされながら伝道していきました(8章4節)。そうして彼らはついに、アンテオケに至り、異邦人伝道が拡大され、それが「世界宣教」の拠点となったのです(13章1〜3節)。
 さて、アンテオケ教会が無名の証人によって生まれたとの知らせが親教会エルサレム教会に届いたとき、エルサレム教会はバルナバをアンテオケ教会に派遣しました(22節)。彼がそこで見たものは、『神の恵み』以下の何ものでもなく、神のすばらしいみわざを素直に喜んだのでした(23節)。
そこでバルナバがしたことは、信仰生活にとって大切なのは、一時的な感激でもム−ドに酔うことでもなく、『常に主にとどまっている』ことを『励まし』、慰め、力づけ続けたのでした。しかも、国際的な感覚を持ち、熱心な信仰者として異邦人伝道と牧会のためにふさわしいサウロの助けを得たのでした(25〜26節)。
 アンテオケ教会とそのメンバ−同様に、私たちは、主イエスの恵みを受けた人々を通して、その救いの恵みに与かり、恵みによってキリストの内に保たれ、恵みによって成長していくのです(?コリント15章10節参照)。


2.恵みを与え続ける喜び 27〜30節
 母なる教会であるエルサレム教会は、紀元後70年にロ−マの軍隊に破壊破滅させられましたが、次に世界宣教の拠点になったのがアンテオケ教会でした。
 この教会は後に宣教師を派遣していくのですが、その前にロ−マ帝国内、特にパレスチナ地方に大飢饉が起こることを知らされたために、『それぞれの力に応じて』救援物資や援助金を集め、バルナバとサウロに託して送ることになりました。霊的な恵みをいただいたことに対する感謝と愛をもって、与える教会となっていたのです。余裕があったからではありません。主の恵みに満たされていたからです。私たちも恵みを無駄にしないで、その恵み拡げていきたいものです。
 さて、こうした神の恵みが拡大されていく根底にあったものは、聖徒一人ひとりの「キリスト中心の霊性」があったからです。離散の聖徒は、キリストの救いが崇められ、拡げられていくなら、自分たちが「無名である」ことを良しとしました。バルナバも、純粋な信仰でもって、サウロにその働きを委ねていきました。こうした霊性が教会全体と一人ひとりに感化を与え、支配していくときに、神の恵みが拡充していくのです。まさに「恵みの総動員「です。その恵みを見て喜びたい、恵まれたいものです。


                 (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)