柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

2008年元旦礼拝説教要旨「恵みと力に溢れて」

 「キリスト者は救われた求道者である」と言われたりするように、絶えずキリストご自身とみことばに渇きを持ちつつ歩むというハングリーな面が必要である。しかし、一方、『わたしの恵みは、あなたに十分である』(第2コリント12章9節)、また『私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました』(ピリピ4章11節)との充足感をもって生きる面が大切である。言わば、満ち足りた中での渇きをもって生きるのがキリスト者である。


1.キリストの「力」は満ちているゆえに
 この充足感・自足感は、仏教的な悟りや哲学的な徳といったものとは違う。また、特別に恵まれた人が身につけているというものでもない。キリスト者の全ての人に備えられているものである。
『私を強くしてくださる方』(ピリピ4章13節)と共に生きることにより、キリストが全てをご支配してくださることによって与えられる力である。『・・・わたしの力は・・・キリストの力がおおうために・・・』であり、『私が弱いときにこそ、私は強いからです』(第2コリント12章9〜10節)とあるように、強めてくださるのは主イエス・キリストご自身である。
 キリストが、いつも注ぎ込んでいてくださるご自身の「力」によってこそ、真に実力あるキリスト者、またキリストの群れとなるのである。


2.キリストの十字架と復活の「恵み」で十分であるゆえに
 キリストの恵みと力は、人間の最大の弱さである罪と死を担われた十字架に現され、それに完全に勝利された復活に現された。だからこそ、キリストの恵みと力は、『・・・あなたに十分である・・・弱さのうちに完全に現れる』(第2コリント12章9節)のであり、どんな境遇にあっても満足するのである。(ピリピ4章11節)。
 キリストの十字架の復活の恵みは、お互いにとって十分である。そこに現された愛と赦しのゆえに、深い感謝があるのである。その救いの力に捉えられるなら、赦す力、祈る力、愛する力、伝道する力、献げる力、奉仕する力、そして生きる力、勝利する力が発揮されるのである。
 どこまでも、自らを明け渡して、『強くしてくださる』キリストに生きていただくことが一切の秘訣である。

                (説教者:柏原教会牧師 川原崎 晃)