柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「夜明けを望みつつ」 ルカの福音書2章36-38節

 「死に直面した人の心を最も苦しめることの一つは、『果たして自分の人生に意味があったか』という問いである」と指摘されます。それを否定的に答えるなら、恐れと失望・絶望が残るだけです。それでは、肯定的に答えることのできる「夜明けを望む道」があるなら、どういうところに見いだされるのでしょうか。


1.主との交わりが深められるところに 36〜37節
 年を重ねてきた人々にとって心の中の大部分を占めるのは、過去の出来事であり、それにまつわる記憶や想い出です。しかし、今、私たちの前に登場する「アンナ」は、老いの身の中で過去に目を向けて、その中にひたるのではなく、逆に将来に目を向けて、神の約束の実現を待ち望んでいました。
 私たちは既に救い主がどなたであられるかを明らかにされ、イエス・キリストを信じることができる者とされています。この信仰は、将来の約束、つまり死の後に起こることがらについての神の約束をも固く信じさせます。この信仰が私たちに希望と平安をもたらし、一年一年を送ることができ、終わりの時を備えさせていただくことができます。
 さらにアンナは、若くして夫を失うという悲しみを経験し、楽しかった七年間の夫婦生活が突然断ち切られるという淋しさと孤独の中を歩みました。彼女はこの時、神と人に対して頑なになることなく、『・・・離れず・・・神に仕えていた』と絶えず神に語りかけ、神のみこころを問い、神からの回答や導きを受け取る「神との交わり」を第一のこととしました。
 「時間的にゆとりのある老年期が、祈りの日々となるために、私たちは多忙で壮んな時期においてこそ、祈りの習慣をつけておくべきである」との指摘を、互いのこととして聴く必要があります。老いる前に、神との交わりの喜びや慰めや力を体験し、それが日々の生を支える土台となることが求められます。


2.主への感謝が拡げれる 38節
 シメオンに抱かれている幼子イエスが待望の救い主であり、人類の救いの始まりを讃えていることを聞いたアンナは、それを喜び、『感謝をささげ』ています。
 私たちにとっても、ここにイエス・キリストがおられる、このお方を通して人々に救いのわざを進めようとしておられることを絶えず新たに確認しつつ、主イエス・キリストに対する感謝をささげるのです。言い換えれば、神が成してくださった一つ一つのことに感謝するとともに、如何なるときにも、主の赦しの中で受け入れられ、主のものとされ、慰められ、支えられ、生かされていることに対して、主イエス・キリストご自身に感謝ををささげるのです。
 この感謝は、アンナのように救いを必要とする全ての人に持ち運び語る喜びとなって、拡大していくのです。「真に神との交わりに深く入れば入るほど、それだけ深く人の中にも入ることができる」のです。それは、老いたときではなく、互いの「今」のときに与り、その中に生き続けることが大切です。そうするならば、晩年にも夜明けを望みつつ、神との交わりと感謝の生活を全うできるのです。

                (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)