柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「恐れるな」    ルカの福音書2章1-20節

 主イエスのメッセ―ジを要約するなら、「恐れるな(ルカ2章9〜10節)」、「愛している(ヨハネ3章16節)」、「共にいる(マタイ1章23節)」に尽きます。
 クリスマスの出来事に登場する人々は、何らかの形で不安や恐れを持っていました(マタイ1章20節、2章3節、ルカ1章12節、30節)。


1.恐れの源は  10節
 私たちの日常には、感謝や喜びがある一方で、恐れや不安があります。自らのことのみでなく、家庭の中のことで、また社会状況の中に、自然環境においても、不安材料は事欠きません。
 ところで、クリスマスの出来事に接した人々の恐れは、特別な一面がありました。主なる神が一人ひとりに愛をもって何らかの形で近づかれる、その人の魂と心と人生に介入されることによって生じた恐れです。信仰に基づく何らかの決断が迫られるとき、神への態度決定が迫られるときなどがそうです。そのときに、それまでの生き方が変更させられたり、中断させられたりする経験をするものです。
 ヘロデや指導者たちは、神を斥けることによって不安や恐れをなお大きなものにしましたが、羊飼いたちは『恐れることはありません』との呼びかけによって始まる神からの語りかけを受ける中から、逆に喜びの出来事を経験しました(10〜11節、15〜20節)。初めは恐れを引き起こす神の接近が、実は全ての人にとっての喜びの接近となるのです。
 私たちが向かうべきは、神から遠ざかるのでなく、神に近づくことです。神の語りかけを消すのではなく、それに応答するのです。


2.恐れの解決は  7節、11節
 さて、救い主の誕生の場所は、迎え入れる場所がなかったために飼い葉おけという場所でした。何という惨めなことだったでしょう。しかし、本当に惨めなのは、神の御子の誕生のための場所の提供ができなかった人間の姿です。私たち一人ひとりが救い主イエス・キリストを迎え入れる場所を、自分の心に、生活に、生涯に持つことができないとしたら、これほど惨めなことはありません。
 神は、歓迎して迎え入れてくれないなら、もう関わらないとはおっしゃいません。飼い葉おけでもよい、これが神の決断であり、そこに神の愛を見るのです。羊飼いたちは、その飼い葉おけという場所で救い主に出会い、そのことを喜び、賛美し、直截に語ったのでした。
 神の救いは、その後、飼い葉おけ以上の惨めな場所である十字架において成し遂げられました。ならばこそ、神の御子の誕生という『きょう』(11節)であるとともに、イエス・キリストを救い主として受け入れる、主として服する『きょう』でありたいものです。
 自分を主としている間は、不安は絶えません。へりくだって、貧しくなられて愛の主イエス・キリストの恵みに、信仰と愛の応答をするとき安息が訪れるのです。

               (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)