柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「苦しみからの解放」 マタイによる福音書2章13-23節

 一年の歩みを振り返りながら、一人ひとりそれぞれ感謝をもって礼拝に臨んでおられるでしょう。深い悲しみを味わう一年であったでしょうか。苦しいことや辛いことの多い試練の年でしたでしょうか。多忙であわただしく、静かに
自らを顧みることができにくい年だったでしょうか。充実した年であり、将来に対する見通しがついたという明るい年だったでしょうか。
 それぞれの一年の歩みと、心にある思いは異なっても、しかし、それらを通して、それらを越えて、皆主イエス・キリストの赦しの恵みの中で共に生かされてきた、ということにおいては等しいものをいだいています。このことを確認しつつ、新たな出発をさせていただきたいと願います。


Ⅰ.主の導きの確かさ

 クリスマスの出来事は、数々の賛美の歌や喜びが繰り広げられているようですが、ベツレヘムの旅、家畜小屋で飼い葉おけでの誕生、エジプトへの避難、ナザレでの滞在と、御子の誕生と成長にとっては大変な困難と危険を伴うものでした。神の御子であり、唯一の救い主が、なぜ、これほどまでの苦悩を誕生の時から味わわねばならなかったのでしょうか。悲しみや暗さが前面に出ています。
 その暗さの現われは、主イエス・キリストを拒絶している姿であり、当時のユダヤ人、誰よりもヘロデの姿に顕著です。主なるイエス・キリストを拒むことは、自分自身を主としたがる私たちの罪の姿であり、それは真の主であられるイエス・キリストに対する拒絶なのです。言い換えれば、主なるイエス様を十字架に追いやった「わたし」の罪なのです。
 そのような中にあって、ヨセフを導いておられる神の導きの確かさがありました。主の使いを用いて、旧約聖書の約束のみことばをもって導いておられます(1章22〜23節、2章15節、同17〜18節、同23節)。このように、御子イエスに起こる一つ一つの出来事の背後に、神の確かなご意思とご計画があることを示しておられるのです。
 互いにこの一年、またそれぞれの人生の歩みを振り返ってみるとき、神の導きを感謝をもって告白することができるのではないでしょうか。


Ⅱ.主の導きへの従順

 この神の導きに対して、神への全面的な信頼と従順をヨセフの行動の中に見ることができます。それは、神のみことばへの忠実さでした(1章24〜25節、2章14〜15節、同21節、同22〜23節)。他に何の頼るべきものを持たないものであったとしても、これほどに自分と愛する家族とを神のみとこばとその導きに委ねて生きたヨセフの姿に、信仰はある種の愚かさを伴うものであることを教えられます。先が見えない中で、今示されるみことばに愚直なまでに従うことが、信仰の領域にはあります。今日の信仰者が見失っているものではないでしょうか。
 ヨセフがどれほど深く、イエス様を通してなされる神のみわざやご計画を知っていたかには、疑問があるとしても、絶えず神のみことばを尋ね、それを待ち、それに依存して生きる生き方は、私たちの信仰の旅路の在り方です。
 行く年、来る年とのいずれの時であれ、主イエス・キリストを閉め出したユダヤ人やヘロデ王のようにではなく、自分の全存在と生涯の王座にキリストをお迎えして、今この所から新たな出発をさせていただきましょう!


(説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)