柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信じて立つ」 ルカの福音書1章26-45節

 「受胎告知」「処女降誕」の事実を前にしたマリヤのために、神が備えてくださったザカリヤの妻エリサベツは、『・・・信じきった人は、何と幸いなことでしょう』(45節)と祝福しています。主なる神を信じて立つところに幸いな生涯があります。

1.どのような時にも謙遜である 26〜34節
 ヨセフと婚約していたマリヤに、御使いを通して、聖霊による懐妊が告げられました(35節)。それは、驚きと戸惑い以上に、恐れと不安と苦しみの度を遥かに越えた、思いがけない「神の不意打ち」でした。一番楽しいはずの婚約期間であったにもかかわらず、二人の間に疑いが、不信が、あるいは憎しみが行き交う時となりました。神に選ばれたということは、光栄なことです。しかし彼女の場合、それは苦しみと辱めを身に受け、耐え難い日々を強いられたのです。
 そんなマリヤに対して、『・・・主があなたとともにおられます』(28節)との語りかけに、彼女は『・・・考え込んだ』(29節)と、感情に走ることなく、思慮深く、冷静沈着でした。さらに、『こわがることはない。・・・』(30〜33節)との告知に、『どうしてそのようになりえましょう。・・・』(34節)と、身に起こった現実に誠実に正面から向き合っているマリヤです。心乱され、戸惑い、うろたえ、自ら担い切れないことに「なぜこの私が」「私ではなく、ほかの人に」との思いで、神の前から逃げる道を選びませんでした。神の選びに対して、『主のはしため』との道を選んだのです。ここに、謙遜があります。
 人は救いを造り出すことはできません。しかし、神から救いを手にすることはできます。神の救いは、神が人となられ、十字架の死にいたるまで謙遜になられたイエス・キリストを受け入れるときに成就します。
 人は神になれません。しかし、神と共にあることはできます。それは、恐れや不安を抱かせる重荷・悲しみ・失望を覚える中にあっても、「恐れるな」「わたしがあなたとともにいる」と臨み続けていてくださる主イエス・キリストの前にひれ伏す恵みです。


2.みことばを確かな拠り所とする 34〜38節
 危機の時が、危険な時とならないで、恵みの時・成長の時となるためには、みことばに身を委ねることが大切です。
 マリヤはいつまでも『どうしてそのようなことになりえましょう』との問いをもてあそんでいません。不可解な中から、神の恵みと力には限界がないとの神のみことばに出会い(35節、37節)、みことばを優先させ、その支配に服しています(38節)。この時、彼女の生涯は、神のみわざとその導きに決定づけられたのです。
 私たちを神の道に決定づけるもの、それがみことばです。みことばに身を委ねるなら、みことばで教え、導き、神のみわざへと進み行かせられます。イエスの母となったマリヤをうらやましく思った女性に対して、『幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです』(ルカ11章27〜28節)と語られたように、みことばこそが、人をして幸いにするのです。
 『主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、何と幸いなことでしょう』と、信じて立つマリやでした。この後、救い主イエスが十字架にかけられたときにも、また主イエスが復活の後昇天されて最初の教会が誕生したときも、信じて立つ者として歩み続けたマリヤです。「信じて立つ」者の歩みを神は用いられるのです。

                 (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)