柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「恵みの回復」 詩篇126:1-6

キリスト教の神を信じ何か良いことがあるのでしょうか。あります。わたしは救われて間もない頃ある集会で講師の先生が「信じるものは儲かります。」と言われるのを聞きました。お金が儲かるのかなと思いましたが、そうではありません。儲かるとい字はよく見ると、信と者が合わさった字です。それで「信じるものは儲かります。」と言われたのです。実際信じて儲かることもあるでしょう。しかし、もっと素晴らしいことは永遠のいのちが儲かるのです。神様から与えられるのです。
今日は「恵み」という言葉を考えてみたいと思います。辞書には、情け・憐れみ・慈しみとありました。しかし、わたしは聖書を見る時に「喜び」が恵みではないかと思いました。2節を見ますと、口は笑いで満たされ、舌は喜びの叫びで満たされたとあります。それは大きな喜びです。私たちには喜び、恵みが必要です。それがなくなる時もあります。その時、いかに回復できるのでしょうか。

第一に、神に祈ることです。
私たちは心に不安を感じ、心配します。そしてそれを人に言うことがあります。心にため込んでいればストレスになるので言った方がいいでしょう。しかし、解決できるでしょうか。人に言っても根本的なものは解決しないと思います。逆に人に言って、それが他人に知れたり、聞いた人がストレスを感じることもあります。だから、むやみに人に言わないことです。それよりも、神に言う、祈ることです。神はストレスを感じられません。人にも言われません。むしろ根本的な問題を解決されます。イエスキリストは「全て重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」と言われています。私たちの感じる心の痛み、悲しみ苦しみ、心の重荷をイエス・キリストは受けて下さるのです。私たちの心の傷でさえ、「その打たれた傷によって私たちは癒された」とイザヤ53:5にありますが、キリストの十字架によって私たちは癒されるのです。

第二に、涙をもって種まきをすることです
5節に涙と共に種をまくとあります。涙は苦しみの涙、悲しみの涙であろうと思います。それでは種は何か。何の種を私たちは撒くのかそれはどんな実を結ばせるかによります。
私たちは、聖霊の実が豊かになるようにと種をまかなければならない。聖霊の実はガラテヤ5:23,24に出てくる愛、喜び平和、寛容、…柔和、自制といった実のことです。人格的な成長キリストに似たものとして成長する。そして感謝なことに、神を信じる者にはその心に種がまかれるのです。(?ヨハネ3:9)御霊の実の種が心にまかれやがて成長し、勝利のみを結ぶことができます。しかし、それには時間がかかります。信じて待つことです。そして涙をながすこともある。イエス様も苦しみを味わわれたのです。しかし、一粒の麦となり命を捨てて下さったことにより、私たちは救われて、実を結ぶものとなった。無駄にはなっていません。

第三に、喜びの収穫を信じることです。
種をまけば必ず芽が出る時があります。イスラエルの人たちもバビロンに連れ去られ、70年が経った時、バビロンはペルシャ帝国に倒され、クロス王はイスラエルの人たちを解放した。彼らはユダヤの国に帰り、そして再びエルサレムと神殿を再建した。その喜びが1節に記されてあります。
神様は繁栄を元通りにして下さるどころが、それ以上に恵みの実を結んでくださる方です。
涙と共に種蒔くものは、喜び叫びながら帰って来るのです。 

                 (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)