柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「祈りの家」マタイ21章12-14節

この聖書の箇所は、元来「宮きよめ」と呼ばれているところであり、神殿の本来の目的、また私たちにとって教会はどういうところかを示す箇所でもあります。


1,宮の中で行われていたこと

宮は本来、神殿でありそこで神様を礼拝するところです。しかし、12節に「売り買いをする者」とありますが、商売人がいたのです。
彼らは純粋に礼拝するためにいたのではなく、鳩を売る者たちとありますが、神殿で献げる犠牲の動物を売っていたと思われます。礼拝に来る人たちは、近くからだけではありません。遠くから、さらには外国から来ている人たちも大勢いたのです。 その人たちは来るだけでも大変です。また、犠牲は死んだものではなく生きている動物を献げなくてはなりません。そうしたものを見つけて持ってくるのも大変です。おそらく最初は親切心から始まったことでしょう。ところが人の便宜を図ることが優先され、そしてついにはそれが商売となってしまったことです。宮は神を礼拝するところです。ところがそれはものを売ったり買ったり、両替をする商売の場所となってしまったのです。イエス様はそうしたものを追い出されました。
なぜでしょうか、神殿は神を礼拝するところです。


2,祈りの家

エス様は神殿を「わたしの家」と言われました。神殿は神様のものです。ですから、神ご自身であるイエス様がそのように言われたことは当然のことです。しかし、当時の人たちは理解できませんでした。
それでも神様の真理は明らかになります。旧約聖書で言われた祈りの家、神の家は現実のものとなります。家とは普通、生活するところです。家族がともに暮らすところです。ちなみに、教会では信仰を同じにする者を兄弟姉妹と呼んでいます。血のつながりはありませんが、信仰のつながりにおいて兄弟姉妹であり、神の家族です。そして神の家族としてのつながりは何にあるのか、祈りにあると言うことです。私たちは祈りによって具体的につながっているのです。
21世紀今日の教会では、犠牲は献げません。しかし祈りを捧げます。神様に感謝の祈りを献げ、またお互いのために祈ることが出来ます。それが、祈りの家です。私たちは何よりも神様に祈りそして互いに祈ることを実践しましょう。それが、御言葉を行うことであり、神様が喜ばれることです。私たちは、私たちを愛し十字架にかかって死んで下さったイエス様に感謝を献げ、復活のイエス様が私たちを励まし慰めて下さることを祈りを持って現したいと思います。


3,癒やしのみわざ

エス様は宮で、盲人や足のなえた人たちを癒やされました。旧約聖書では、そのような人たちは来てはいけないことになっていました。しかし、イエス様はそのような人たちを招かれます。すべて重荷を負って苦労しているものは私のもとに来なさいと呼びかけておられます(マタイ11:28)。彼らはみもとに来ました。そしてそのような弱い者をイエス様は憐れみ癒やされたのです。現代も同じです。見えていない人、自分でも生活できない人、イエス様が癒やされます。力を与えられます。見えるようにして下さいます。自分で立って歩けるようにして下さいます。イエス様に祈りましょう。そして、いやしの御業がなされることを信じましょう。


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)